春樹の吃音の状態が大きく改善されることはなかったものの、教員や、信頼できる友だちの温かなひと言やちょっとした配慮に助けられることが増えていった。からかわれて辛い思いをすることがなくなったわけではなかったが、少しずつ春樹はたくましくなっているように信子は感じた。担任もまた同じような印象を受けていた。そしてその年の終わりころには、春樹は自らこう言った。
「自分の吃音についてみんなにわかってもらいたい。校長先生に全校の前で言ってほしい、それがぼくがいま一番叶えたい夢なんだ」
信子が手紙を書いて春樹のその思いを学校に伝えると、校長が直接面談して学校の意向を伝えてくれた。それぞれ状況の異なる児童が集まっている中で、春樹の問題を特に取り上げて学校側から全校児童に向けて何らかの発表をすることには、様々な意味で慎重にならざるを得なかったのだろう、それは難しいとのことだった。だが、学校側の対応には、誠実さを信子は感じた。
2年になると担任は替わったが、今度は学校の方から、定期的に話し合える場を設けましょう、と提案があった。そうして毎月一度、教員たちと直接話ができる機会も得られるようになった。
「きっと学校側のそういった姿勢のおかげもあったのでしょう、2年生の4月に、私は初めて、息子が『ただいま』と言って帰宅する姿を見たんです」
他の人には当たり前にも見えるその息子の様子が、信子にとっては特別なものだった。吃音の状態は変わらずとも、息子の心はきっと少しずつ解放されているのではないか。信子はそう感じるようになっていった。
吃音がはじまって5年後の表情の変化
2017年3月、私は1年ぶりに春樹と信子に再会した。2人の姉と父親も含めた家族5人での休日に同席させてもらう形だった。
間もなく4年生になろうという春樹は、1年前に比べてぐっと大人びて見えた。無邪気に笑いふざける姿が印象的だったのが、静かで落ち着いた雰囲気になった。一方、卓球に打ち込む日々はその後もしばらく続いていたが、半年ほど前から突然見舞われるようになった踵の痛みによってしばらく練習ができずにいたという。
踵の痛みの問題は、接骨院の先生によれば、吃音による日々の緊張で体全体の筋肉が硬くなっていることと関係していて、全身の筋肉をほぐす必要があるらしかった。吃音がそのような影響を及ぼすこともあるのかと驚かされたが、どもったときに言葉を絞り出そうとすると全身に力が入ることを考えればなるほどとも思える。その接骨院で施術を受けると、踵の状態は随分良くなったという。