26歳での引退を思い描いていた
アヴィーチーは才能あるDJだった。ジャンルをまたぐ作曲スタイルでEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)シーンを変えた男だ。2011年、『レヴェルズ』がスマッシュ・ヒットとなると、『ウェイク・ミー・アップ』『ヘイ、ブラザー』がそれに続き、ツアー・スケジュールも驚くほど過密になった。だが天文学的セールスを記録し、サウンドが次第にポップ/フォーク調になっていくと、聴衆は彼が「魂を売りわたした」のではないかと言いはじめた。2014年の『ローリング・ストーン』のインタビューで「魂を売りわたすような方向に進んでいると感じたことはありますか」と尋ねられたとき、アヴィーチーはこう答えている。「いや。どんどんカネを儲けてどんどん有名になるなんて、ぼくのゴールだったことはないからね。それはどっちかって言えば、ぼくのマネージャーが考える大成功のカタチだ。大事なのはいつだって、未来を築いていくことなんだよ」。
思うにこの若者は、精神面で深刻な問題が顔をのぞかせようとしていることに気づき、それを避けるために足を踏みだそうとしたのではないか。(家族によれば)「意味、人生、幸福」といった実存的悩みを抱えていたという。2017年のドキュメンタリー『アヴィーチー:トゥルー・ストーリーズ』での彼は、社会的不安や鬱と闘っている。医者の記録によれば、弱冠26歳(人気と需要の頂点)での引退を思い描いていたようだ。大量飲酒と膵炎の合併症で少なくとも二度にわたって入院。退院直後も、見るからにぼうっとし、ほとんど目をあけていられないことさえあったというのに、ライヴを続けた。ドキュメンタリーでは、ファンや近親者からツアーを続けろという大きなプレッシャーがあったことも描かれている。「このままツアー生活をしていれば命を落とすとくりかえし警告されていた」という事実があったにもかかわらず、やめるなというプレッシャーを受けていたわけだ。
野心と普通の板挟みになったアヴィーチー
アヴィーチーと親密に仕事をしていたゲフィン・レコードの重役ニール・ジェイコブソンはこう述べた。「プロダクションがとんでもなく巨大になって、彼を圧倒するようになったんだよ。(中略)彼にはふたつの面があった。ステージで成功したいという巨大な野心を持っていながら、とても慎ましい普通の男でもあったんだ。そのふたつの板挟みになったんだね。そうして人生が彼を痛めつけはじめたわけさ」。
アヴィーチーは統計的な離れ小島ではない。ほかのツアー・アクトもそうだが、EDM関係のDJが高い頻度で精神面の問題を抱えているという情報は次々と表面化している。だが物質的な利益を優先させるせいで、問題はおざなりになったままだ。