ジミ・ヘンドリックス、カート・コベイン、エイミー・ワインハウス、バスキア……。成功の頂点で夭逝した天才たちは、奇妙にも27歳でこの世を去っていることが多いとされる。そうした傾向を「27クラブ」と括り、痛ましい偶然を神話化する慣習が存在する。若くして死ぬこと――成功のてっぺんでドラッグと不摂生にまみれて死ぬことがカッコいいという文脈で語られることも多い言葉だ。

 そうした文化的固定観念に異を唱え続けるのが、伝説的ロックバンドKISSのフロントマン、ジーン・シモンズ氏だ。ここでは同氏が、痛ましい死を迎えた「27クラブ」の人物たちが抱えていた孤独や痛みに真摯に向き合った著書『才能のあるヤツはなぜ27歳で死んでしまうのか?』(星海社新書)の一部を抜粋。「27クラブ」の代表的な人物の一人、カート・コベインに焦点を当て、彼が本当の意味で後世に残した功績について考える。(全2回の1回目/後編を読む

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「苦悩するアーティスト」の神格化

 4月8日の朝コベインは、シアトルの自宅で死体となって電気工に発見された。ショットガンでの自殺だった。血中からは高濃度のヘロインとバリウムが検出された。

 コベインとその「苦悩するアーティスト」としての個性を神格化するとき、私たちはひとつの疑問を忘れてしまう。一見あまりに答えが明白で、単に自明の理だと思ってしまうような疑問だ。確かに、コベインはすばらしいロック・ミュージックを作りだした。そして苦悩していた。だが、彼は苦悩したからすばらしいロック・ミュージックを作りだしたのだろうか。苦しみから解放されたいがためのドラッグへの依存といった個人的事情は、よい音楽を作るのに必要なものなのか? よい芸術を作りだしたり、伝説的なステイタスを得るために必要なのか? とあるインタビューでコベインは同じ疑問をぶつけられた。答えは示唆に富んでいる。「それって、コワい質問だよな。だって、たぶんそういうことが助けにはなってるだろうからね。俺だって、すっかり健康になれるんだったら、何もかもやめるよ。でもさ、いつもコワいんだよ。胃の問題(編集部注:カート・コベインは生涯原因不明の胃痛に苦しめられていた)がなくなったら、これほどクリエイティヴになれなくなるんじゃないか、ってさ」。正解は彼自身にもわからなかったようだが、苦しむことが(このインタビューでは、とくに胃痛のことのみが語られている)アートを生みだすための必要悪であるというほのめかしに彼が完全に同意していたとも思えない。コベインが言ったとおり、それはコワい質問だ。

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 私は信じている。ほかの誰かが同じような個人的事情を抱え、同じような苦悩を感じ、同じようなドラッグをやったとしても、平均以下の音楽しか作れなかった可能性は十二分にある――誰の魂にも訴えかけず、どんな経験にもよりそえないレコードしか作れなかったかもしれないではないか。私たちのヒーローの多くが同じような道をたどって苦しい人生を送ってきたせいで、痛みや病は天才性と容易に関係づけられてしまう。しかしそれは偶発的な関係であって、因果関係ではない。もちろん、書くべき題材を持っていることは「助け」にはなるだろう。だがコベインの言葉を読んでいると、私には、彼がその才能にふさわしい価値を自分に見いだしていたとは思えない。彼には音楽的な観点があり、ソングライティングのスタイルがあり、人間くささと雰囲気があった。ヘロイン中毒や胃痛がなかったとしても同じだったはずだ。それこそコベインの価値なのではないか。コベインというひとりの男。外からの作用や災厄なんて関係ない。