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晴れた冤罪。だが内縁夫の性的虐待はなかったことになった ――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語【再公開】

晴れた冤罪。だが内縁夫の性的虐待はなかったことになった ――青木惠子さん55歳の世にも数奇な物語【再公開】

2021/05/24

source : 週刊文春WOMAN 2019夏号

genre : ニュース, 社会

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運命を変えた出会い

 青木さんとBさんが出会ったのは、今から30年ほど前、青木さんが20代前半の頃だった。

 23歳の時に夫が蒸発し、幼い子ども2人を抱えた青木さんは、生活を支えるため大阪市平野区内のスナックで働き始めた。その店の常連だったのが、Bさんだった。

 当時、青木さんは別の男性が好きだったが、その男性とうまくいかないことがあって、大げんかになった。その時、Bさんが青木さんの自宅を訪れて話を聞き、「その人とはやめた方がいい」と勧めた。青木さん曰く「私はあまり人を好きにならないの。その人は久しぶりに好きになったんだけど、結局けんかしたまま終わったわ」。

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 その後、Bさんとのお付き合いが始まる。その際、Bさんは自分が在日コリアンであることを打ち明けた。

「在日だからいじめられたこともあるって話してたわ。でも私は差別なんか嫌いだから、ぜんぜん気にしない。そんな話聞いてかわいそうになったくらい。情がわいたのね」

 大阪で花博が開かれた1990年(平成2年)、青木さんは子ども2人を連れてBさんと4人で花博に出かけた。その時、娘のめぐみさんは6歳。食事中に服が汚れたため、Bさんが新しい服を買ってあげるという出来事があった。その後、青木さんは子どもたちに「Bさんと一緒に住んでもいい?」と尋ねた。2人とも「いいよ、住もうよ」と喜んでくれた。

青木さんが仏壇に飾るめぐみさん8歳の写真

 一緒に暮らすようになったBさんを、子どもたちは「パパ」と呼んでいたという。まさかBさんがめぐみさんに性的虐待を繰り返すようになるとは……そのことが今も青木さんを苛む。

性的虐待が冤罪を生んだ

 青木さんは性的虐待の事実を知らなかった。火事でめぐみさんが亡くなった後、取り調べで刑事からいきなりその事実を知らされたのだ。Bさんの警察での供述によると、虐待はめぐみさんが小学校3年生のころから始まり、5年生のころから性行為をされるようになり、40~50回にわたったという。

 刑事は「女としてめぐを許されへんから殺したんやろ!」と決めつけ、「お前は鬼のような母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか、素直に認めろ!」と迫った。青木さんは混乱する中で殺人を自白させられてしまった。一方、Bさんの方も、放火殺人を認めなければ性的虐待を公表すると刑事に脅され、自白させられた。性的虐待がうその自白を生み、冤罪を生み出したのだ。