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上原 この頃から、小学館がやたらに張り切ってきて、『ウルトラマンA』や『ウルトラマンタロウ』じゃ、ウルトラの父やら母やら出てきて、ウルトラのあれにはこういう兄弟がいるみたいなことをやられるとね。商業ベースに乗せられるんだったらもういいや、というのもあったね。だから『ウルトラマンタロウ』、僕は1本しか書いていないでしょう(*15)

*15 第4話「大海亀怪獣 東京を襲う!」と第5話「親星子星一番星」(ともに監督・吉野安雄、特殊技術・鈴木清)だが、前後編なので1本扱いという意味。

 そうじゃなくて、僕は金城哲夫がやったウルトラマンに戻るべきだと思っていたんだけど、それは僕ら脚本家が発言する問題じゃないからね。それでも『ウルトラマンレオ』まで続いたから、それはそれで正解だったんだろうね。

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 そんな感じで、ウルトラマンにはあまり情熱を感じなくなってきた時、うまい具合に東映さんとか、フジテレビの別所(孝治)さんから声が掛かったんだね。それで『ロボット刑事』(*16)に行ったんだよ。何がよかったかというと、『ロボット刑事』という枠の中だったら、好きなものが書けたんですよ。“あなたが書きたいものを書いて下さい”とね。だから沖縄ロケやりたいな、と言うと“書いてみて下さい”みたいな感じだったね(*17)

*16 73年4月5日~9月27日、フジ。
*17 第19話「沖縄の海に謎を追え!!」、第20話「水爆飛行船 東京へ!」。監督はともに折田至。

ウルトラマン作品の原点

 “ウルトラ5つの誓い”とは次郎への別れの言葉である。ウルトラと銘打っているものの、それは超人が子供達に向けた言葉ではなく、郷秀樹が次郎に向けたものだ。そしてその原点は、上原の初期作品にあった。

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上原 沖縄が舞台の『無風地帯』を読み返してみるとね、その後の僕の作品の全てのキーワードが入っているんだよ。“お前は1人で生きろ”と、親父に言われるとかね。それがそのまま“ウルトラ5つの誓い”になっていくんだね。

 僕の中には、自分1人で生きるというのがカセとしてあったんだね。そうじゃなかったら、今日まで生きていなかった気がする。

 初代ウルトラマンは、地球の未来を人間達に託し故郷に帰って行った。日本がポジティブなエネルギーに満ちていた時代、それを具現化したようなヒーローが初代ウルトラマンだとしたら、高度経済成長期後期、ネガティブなエネルギーに支配され始めた頃のヒーローが『帰ってきたウルトラマン』のウルトラマンだったのだ。その意味で、「ウルトラ5つの誓い」は、金城哲夫が執筆した「さらばウルトラマン」のネガ像であると言える。

 こうしてウルトラマンは、再びM78星雲ウルトラの星に帰って行った。そして本作のメインライターを務めた上原正三は、以降主戦場を円谷プロ以外の作品に移し、70年代、80年代のヒーロー番組に偉大な足跡を残していくのである。

©円谷プロ

【前編を読む】「怪獣」ではなく「飛行機」だった?! “特撮の神様”円谷英二が死の直前まで心血を注ぎ続けた“幻”の企画とは

「帰ってきたウルトラマン」の復活

白石 雅彦

双葉社

2021年4月21日 発売