「あなたはありのままでいいんですよ」と伝えてきた牧師が、ありのまま生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ヶ月。治療において医師からかけられた言葉の中には、プライドを逆撫でされるものもあったというが、医師はなぜそうした言葉を伝えたのか……。
ここでは、日本基督教団の牧師、沼田和也氏の著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)の一部を抜粋。治療を通じて改めさせられた“考え”について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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わたしが主治医を操ろうとしている?
あるとき主治医は厳しい口調で、わたしにこう言い放った。
「ヌマタ先生、あなたはわたしを操ろうとしていますね? じっさい、あなたのように知的な仕事に就いておられる方が、こうして治療ベースに上がってくることはとても珍しいんです。医師や弁護士、学校の先生なんかもそうなんですけどね。『あなたは発達障害かもしれない』と誰かから言われても、受け入れようとしない。受け入れないだけじゃなくて、指摘した相手を見事に反駁してしまう。自分には障害なんかないし医師にかかる必要などない、健康であるというじゅうぶんな理由を自分は説明できる、と。きれいに理屈で論駁してくるもんだから、誰も歯が立たなくて、けっきょく本人に治療を勧めることを諦めてしまうんです。そのなかで、それでもあなたはこうして治療を受ける気になってくれた。そこまではよかった。でも今、こうして言葉巧みに、自分の都合のよい診断結果になるよう、わたしを誘導しようとしています。これでは、わたしはあなたを正確に診察することができませんよ」
プライドを逆撫でされる言葉の連続であった。主治医はわたしに遠慮しなかった。
それどころか、わたしをわざと怒らせようと挑発しているようにさえ見えた。彼はつねにわたしの目を睨み、視線は決してそらさず、真正面から言葉を投げてくるのだった。
あるときなど、追い詰められたわたしは、込み上げる苛立ちや怒りに我慢ができなくなり、椅子を蹴とばして「こんなものは治療ではない! わたしへの侮辱だ!」と叫んだ。それでも彼は一歩も引かず、ひるまなかった。わたしには彼の一言一言が重く突き刺さった。主治医の投げかけた数々の言葉は、退院してずいぶん経つ今なお、わたしにとって、牧師として人と向きあうことへの課題となり、響き続けている。
そんな言葉の一つが、これである。