高校を中退、引きこもった後に高卒認定試験を取得するも、受験浪人中に阪神淡路大震災が発生。かろうじて入った大学も中退し、再び引きこもる……。そんな紆余曲折を経て、関西学院大学大学院神学研究科博士課程前期課程を修了、伝道者の道を歩み始めた牧師の沼田和也氏。しかし2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院することになる。
ここでは、同氏が閉鎖病棟で過ごした2ヶ月間の入院生活を振り返った著書『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)の一部を抜粋し、退院後に受けた差別の実態を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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2度目の失業。それでも自身への信頼があった。
退院してハッピーエンドであったのか。そもそもわたしの人生は終わっていないので、少なくともエンドではない。それに、人生のある局面をもってして、幸福なのか不幸なのかを決めるということを、できればわたしは、したくない。
最近、ツイッターで差別の問題が取り扱われることが多いが、そういえばわたしも退院後、忘れがたい言葉を投げかけられたことがある。それがわたしへの差別だったのか、それとも、わたしへの────わたしには到底そうは受け取れなかったのだが────思いやりだったのかは、よく分からない。
わたしは精神科病院を退院したあと、教会を辞めて郷里へ帰り、しばらく妻と仮の住まいで過ごした。失業したのはこれで二度目だった。一度目の失業は最初の任地を辞めたとき。新婚早々、見知らぬ土地に「嫁いできた」も同然の妻が、慣れない生活でとうとう心身を病み、倒れて精神科に入院。わたしにとって身近な人間が精神科に入院した、初めての体験であった。わたしは彼女の看病のことを考えた末、その教会を辞任した。その後続いた初めての失業は、それはもう不安なことこの上なかったものだ。しかし今回は二度目の失業。しかも主治医との厳しい対話をとおして自己の内面を深く覗き込んだあとのことである。だからわりと平気だった。むしろ後悔なくやり遂げた感じさえしていた。「これからなにが起こっても大丈夫、受けとめられる」という自身への信頼のなかで生活していた。