大きな熊肉の塊に食らいつくとこれがまたなかなかの歯ごたえ。これだけの嚙まれっぷりをしてる奴なんか今時肉屋には置いてない。霜降り肉なんて歯が悪い年寄り向けに思える。これが本来の肉なのだ。昔やっていたアニメ『はじめ人間ギャートルズ』に出てきたマンモスの肉は、多分こんな感じに違いない。かなり嚙みごたえのある熊肉は、最後は飲み込むしかない。
次はスペアリブを頂く。豚も鶏も骨に残った肉が一番うまいというから、これも期待できそうだ。骨をつかんでがりがりかぶりつくと、本当に原始人になった気分。やっぱりギャートルズの世界である。先の赤肉同様こちらも歯ごたえはかなりのもので最後は飲み込む。
続けて熊モツ煮に箸をつける。熊の内臓はどこにも流通していないそうで、これを食べるのは獲った人たちだけの特権である(骨付き肉も流通はしていない)。器の中を覗くと、ごく普通のモツ煮込みのようだ。モツだからやはり少しにおうが、気になるほどではない。すんなりと食べられるが、これも凄い弾力で歯ごたえがある。いくら嚙んでもなくならない。強靱なガムのようである。これも最後は飲み込むしかない。
獲物が獲れたことを皆で喜び心から楽しむ
熊肉を食べるというのは結構疲れるものだ。まるでアゴの筋トレをしているような感じ。味は肉屋で売られているどの肉にも似ていない。やはり熊としか言いようがない味だ。今回は全部同じ味付けだったが、工夫次第ではいろいろな料理になるかもしれない。私ならとりあえず圧力鍋で1時間くらい加圧して柔らかくなったら味を付けるだろう。
大きな3つの鍋がテーブルの上に並ぶのはなかなか壮観だ。これだけの量が作れたのは100キロ超の熊だったからである。この日は久々の大熊に20人ほどが集まり宴となった。電話も次々にかかってくる。獲物が獲れたことで皆で喜び心から楽しむ。皆で楽しむということが大切なのだ。熊が獲れても獲れなくても、ウサギが獲れても獲れなくても人が集まり宴が始まる。
以前に比べると山里の生活も随分と便利になっている。それでも街とは違う。お手軽に暇がつぶせる享楽などはここにはない。食べるという行為以上に生きるための充足感を彼らは自分たちの手で獲得していく。その手段が狩猟であり、それは山里の小さな共同体を維持していくのに欠かせない行為なのだ。今、我々が住む社会においてはあらゆることが間接的になり現実に触れる機会が減っている。そうした大切なことを見えない状態にある我々が彼らの矛盾なき生活や労働に、異論を唱えるべきでないと思うのである。
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