このまま車の止めてある稜線まで熊を引き上げることなど到底不可能だ。こういう場合は現場で解体するしか方法はない。マタギたちは今、解体に適した場所まで熊を下ろそうとしているのである。
熊が落ちた滝壺から200メートルほど下がった所におあつらえの空間があった。そこは沢から2メートルほど上った平らな所でまるであつらえたステージのようだ。おまけにうっすらと積もった雪が白いシーツさながらに敷き詰められている。このステージに熊を苦労して乗せる。そして熊の頭を北に向けおなかの上に一本枝を置いて呪文を唱える。
「あぶらうんけんそわか」
こうして熊の魂を鎮め、山の神に感謝する“けぼかい”の儀式が始まった。熊に引導を渡すと早速解体に取り掛かる。室内でのけぼかいは見ていたが山中では初めてである。大自然のなか、ふたりのマタギが熊を丁寧に解体する光景はチベットの鳥葬のようでけぼかいとは神聖な儀式なのだと感じた。人の肉体が鳥に食われて空を舞い上がるように、熊の肉体も人に食われて生き続ける。食物連鎖のなかに間違いなく人間も組み込まれている、私はこの場でそう感じる貴重な体験をしているのだ。
大物を運ぶ苦労と喜び
2時間近くかかり、熊は枝肉、ロース、バラ、内臓、脂肪、骨、皮、へと分けられた。この一連の作業の手際のよさはプロの手並みである。
綺麗に分割された熊をリュックに詰めて運ぶ。しかし一度では到底無理な大きさ。あとで測ってわかったことだが、実は130キロ近い大物の熊だったのだ。リュックの重さは30キロを軽く超えていた。腰痛がかなり深刻な私は、リュックに触っただけでギブアップ。代わりに私はマタギの荷物を持って林道まで上がることにした。
足場の悪い道なき道をゆっくりと進む。いやゆっくりとしか進めない。しばらく沢筋を歩いたあと、ひと休みした。何だかアンデスの岩塩売りにでもなった気分だ。休憩後は斜面を登り始める。どこに車が止めてあるかはマタギにもはっきりとはわからないらしい。熊のいる場所を探したときと同様、歩きながらルート設定しているのである。解体現場から2時間、やっとのことで車が止まる場所に戻ってきた。
【前編を読む】「可愛い熊を殺すとはけしからん、許せん」という非難も…それでも“マタギ”が熊を狩り、食べる“矛盾なき理由”