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連載昭和事件史

2021/06/06

 徳田は日本共産党書記長の徳田球一(衆院議員)のこと。大会は「欠配米の即時配給」など16項目を決議。天皇への上奏文を採択した。「天皇にこの決議を上奏、首相にも要求を突きつけることに決定。飯米運動抑圧反対のため警視庁、検事局にも抗議することに決し」(読売)、それぞれの代表を選んだ。

 午後0時20分ごろ、デモに移り、「メーデー歌を高唱しつつ大衆は潮のように街頭へ。飢餓を叫ぶ行進が始まった」(朝日)。デモ行進は日比谷、桜田門から首相官邸、霞が関を通って皇居坂下門に至り、午後2時すぎ解散した。

 宮内省(当時)に押し掛けた一団の動きは、朝日が別項で載せている。

「宮内省を訪れた聴濤(きくなみ)克巳氏(産別)=朝日新聞論説委員、のち衆院議員=ら12代表は午後0時40分、坂下門前で、代表側が門鑑を持たぬ新聞記者の入門で問答約20分ののち、代表だけ入り、当番高等官室で犬丸総務課長、高尾文書課長と面接」「聴濤代表『全国労組代表といって差し支えない30万の切実な要求をぜひ陛下に聞いていただきたい。われわれの本当の気持ちを率直に申し上げるため、陛下にお会いしたい』 犬丸課長『それはお断り致します。私は決議文のお取次ぎだけ―』」「議論ののち、聴濤代表は上奏文と決議文を朗読して犬丸課長に手渡す」

その日、天皇の侍従の日記には…

 天皇への上奏文は次のような内容だった。

「わが日本の元首にして、統治権の総攬(そうらん=全体を見渡す)者たる天皇陛下の前に謹んで申し上げます」に始まり、「私たち勤労人民の大部分は、こんにちでは三度の飯を満足に食べてはおりません。空腹のため、仕事を休む勤労者の数は日ごとに増加し、いまや日本の全ての生産は破滅の危機に瀕しております。

しかも、現在の政府はこの現状に対し、適切な手段をとることなく、権力を持つ役人、富を握る資本家や地主たちは、食糧や物資を買いためて自分たちだけの生活を守っているのであります。このような資本家、地主の利益代表者たる政府並びに一切の日本の政治組織に対し、私たち人民は少しも信頼しておりません。

日本の人民は食糧を私たち自身の手で管理し、日本を再建するためにも、私たち人民の手で日本の政治を行おうと決心しております。この意見は、日本の勤労人民大衆全ての一致した意見であって、その実現のために、私たちはいかなる圧迫に抗しても闘う決心を持っております。

人民の総意をおくみ取りのうえ、最高権力者たる陛下において適切なご処置をお願い致します」

 この上奏文は、否定の対象の天皇に対するものだったことに後年、疑問も出た。

 昭和天皇の侍従だった入江相政(のち侍従長)の「入江相政日記 第2巻」には、この日のことがこう書かれている。「今日は食糧デモが宮城に押し寄せたり、その代表15名が中に入って犬丸、三井、高尾3課長に面会したりして、いやな日だった」。天皇の側近の感想とはこんなものなのだろうか。このころの彼の日記には、ホットケーキを「おいしい」と食べた話が繰り返し出てくる。これも食糧難に苦しむ当時の庶民からは懸け離れた心情だろう。

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