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連載昭和事件史

2021/06/06

問題となった「天皇プラカード」

 20日の各紙紙面には、会場の模様や参加者の表情に加えて、参加者が会場で掲げたプラカードの標語が、人々の要求や心情を表すものとして記されている。流行語になった「働けるだけ喰(くわ)せろ」のほか「飢ゑたわれ〱に米を」「憲法より飯だ」「ボクタチハ ワタシタチハ オナカガペコ〱デス」……。

1946年4月のデモには「働けるダケ喰せろ」のムシロ旗が登場(朝日)

 その中の1つを読売が記事に取り上げている。「宮城坂下門へまず押し寄せたのは、田中精機の旗を立てた一団。天皇いわく『国体は護持された、朕(ちん)はタラ腹食っている』の大きなのぼりを行列前に突き出し、警官によく見ろと押し付ける」。ひときわ人目を引いたことが分かる。記事の文言は正確ではない。資料写真を見ると次のようだ。

詔書 國(国)体はゴジ(護持)されたぞ

朕(ちん)はタラフク食ってるぞ

ナンジ人民飢えて死ね

ギョメイギョジ

問題のプラカード(「画報近代百年史」より)

「国体」とは国家形態の特質であり、戦前からの日本では、天皇を頂点とした国家体制の在り方をそう呼んだ。「詔書」の両脇に「ヒロヒト」「曰(いわ)く」と薄く書かれている。後から書き加えたように見える。判決文では「ギョメイギョジ」のあとに「日本共産党田中精機細胞」と書かれていたとなっているが、写真でははっきり確認できない。これが問題の「天皇プラカード」だった。

「これは天皇のところへ行くよりほかはない」

 実は、徳田や世田谷区民代表の女性が語ったように、これ以前にデモ隊は皇居に押し寄せていた。1週間前の5月13日付朝日2面3段の「宮城へ大衆デモ」の見出しの記事によれば、12日午後、世田谷区下馬で開かれた「米よこせ区民大会」には区内の労働組合、町会有志ら1000人以上が集まった。

赤旗押し立て坂下門をくぐる(朝日)

 コメの配給が5月に入って激減し、「都内平均5日間の遅配が10日現在で5日半となり、ついに世田谷区の11日半となった」。区民大会では、1月に中国から帰国した野坂参三・衆院議員(のち日本共産党議長、その後除名)が「われわれの手に残された道がある。これは天皇のところへ行くよりほかはない。幣原や社会党に行けたら行ってもいいが、このでたらめな幣原やその官僚たちを任命した天皇に……いまこそ、直接天皇のところへ行かなければならない。君たちのデモの行先は天皇のところだ」とアジ演説をした。デモ隊の代表らはトラック2台に分乗して坂下門へ。

1946年5月12日、皇居坂下門に押し掛けた群衆(「画報近代百年史」より)

 門のところで衛士たちと押し問答しばし。「赤旗は困りますな。もちろん歌はやめてもらいますが」などとやっている。

そこへ今度は当直主管の岩瀬事務官が駆けつけて「ここでご用件をうけたまわります」とやれば、代表連「失礼なことをするな。門前払いなどとんでもない」と……。

さて、歌声こそなかったが、赤旗の下に緊張した表情の113人。歴史あって以来初めて、赤旗が坂下門から宮城内へ進んだ。(午後)5時10分、おかみさんたち、大人のゾウリをペチャペチャ鳴らして歩く汚れた子ども、そういう普段着の行列が宮城内の玄関をくぐった。(朝日記事)

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