終戦直後の1946年、あまりの食糧難にあえいだ日本では、皇居の前に25万人が集結する食糧メーデーが起こった。参加者の一人である松島松太郎氏がその最中に掲げた「詔書 國(国)体はゴジ(護持)されたぞ 朕(ちん)はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードは、その後、大きな問題となっていった。

食糧メーデーに集まった群衆(読売)

◆◆◆

 食糧メーデーから約1か月後の1946年6月15日付朝日は、2面トップで「不敬罪か、否か プラカードの詔書を 検事局、取りあぐ 自由法曹団は抗争」の見出しの記事を載せた。

ADVERTISEMENT

 東京地方検事局では去月19日、宮城広場で行われた帝都食糧メーデーに参加した芝区三田豊岡町13、田中精機工業株式会社の従業員が掲げていたプラカードが、言論の自由の枠を逸脱し、不敬にわたるとのかどで真相を取り調べることになり、同月22日、所轄三田署を通じ、同会社メーデー参加者の代表・松島松太郎氏(33)を任意出頭の形式で召喚したところ、同氏は会社に対しては検事局に出頭すると言って外出したまま行方が分からぬので、同検事局では、事件を警視庁に移すとともに同月24日、正式手続きを踏み、強制処分に付するとともに拘引状を発し、25日、予審判事、検事同道で会社からプラカードその他、証拠品を押収。吉河検事が主任となり、松島氏の行方を捜索の一方、傍証固めを行っているが……

 不敬罪とは、明治時代に制定された大日本帝国憲法第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スへカラス」とされたことに基づき、刑法第74条で天皇や太皇太后、皇太后、皇后、皇太子または皇太孫に不敬の行為をした者は3月以上5年以下の懲役、と定められたことを指す。

 吉河検事とは、1941年に摘発された国際スパイ「ゾルゲ事件」の主任検事だった吉河光貞検事。かなり、回りくどい手続きのように思えるが、戦前戦中、悪名高かった公安検察が戦後の占領下、慎重に神経を使っていたことが分かる。

 これに対し、革新系弁護士で組織する自由法曹団の弁護士3人は14日、東京地方検事局の佐藤藤佐・検事正を訪問。約1時間にわたって意見を交わした。この時点で問題の争点が表れている。朝日の記事は――。

(弁護士側は)「不敬罪とは天皇不可侵の精神が根底となってできた法律だが、この根底は既に死滅しており、従って不敬罪の効力は失ったものと考えるから、拘引状は取り消し、捜査は打ち切ってもらいたい」と抗議。これに対し検事正は「天皇制に対する批判は自由だが、天皇制は現に存在する以上、不敬罪が死滅したという考え方には反対である。しかし、強制処分に付したからといって、起訴を決定したのではない。検事局は真相を究明するために捜索しているのである」と回答した。