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 記事は告発の理由を「熊澤寛道氏は天皇の名称を僭称(せんしょう=臣下が勝手に王を名乗ったりすること)、自分こそ真の皇統だと言っている。しかし、皇統は三種の神器によって受け継がれるもので、それに勝る証明はない。また、徳田氏ほか3名は『アカハタ』に掲載した天皇に関する記事と漫画が不敬罪になるというにある」とした。

 その結論も10月2日付朝日が「“熊澤天皇”ら不起訴」として報じている。「熊澤天皇」については、同検事局で調査研究した結果、「天皇ご一身に対するそしりを内容とするものでないから、犯罪は構成しない」、徳田書記長らも「天皇の行動に対する政治的批判ないし、その政治的責任の追及にとどまるもの」との見解に達したという。

マッカーサー見解の衝撃

 これに敏感に反応したのはGHQの最高司令官マッカーサー元帥だった。10月10日付朝日1面に「自由に批判の權(権)利 萬(万)人は法律の前で平等 不敬罪却下にマ元帥見解表明」という記事が。「日本人検事が、不敬罪で告発されている人物の告訴を取りやめるべく決したことは、国会で採択されたばかりの新憲法中に体現されている次のような基本的概念を適用した注目すべき事柄である」と指摘。「その基本概念とは、全ての人間は法律の前で平等であること、日本におけるいかなる個人も―天皇でさえも―普通の人には拒絶されている法的保護を与えられないことである」と述べた。

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マッカーサーは不敬罪却下を支持する見解を表明した(朝日)

 不敬罪を完全に否定しており、検察側に与えた衝撃は大きかった。2日後の10月12日付朝日にはベタ記事だが「マ聲(声)明で白紙 プラカード事件」という記事が。福井(盛太)検事総長(のち衆院議員)が担当検事から事情を聴き、検察合同会議を開いて検討するとした。

 そして10月19日、司法省(当時)は、「一般の名誉棄損罪または侮辱罪に当たるような誹毀、誹謗または侮辱にわたる行為がなされたと認められない限り不敬罪に問われることはない」との見解を発表した。

 これを受けて東京地検は協議の結果、公判の続行を決定。10月22日の第7回公判では、公訴棄却を求める弁護団に対し、検察側が「改正新憲法の趣旨にのっとり、不敬罪はいまだに存在するものと考える。その解釈は先の司法省当局声明によるもので、公訴を取り消す意思はない」と言明した。現実にはこの段階で不敬罪適用は難しいという判断が検事や裁判所に広がっていたと思われる。

 一審判決の翌日、11月3日には新しい日本国憲法が公布された。それに伴って幅広い恩赦が実施され、大赦の対象には不敬罪が含まれていた。このことがその後の裁判に大きく影響する。

記者たちにも戸惑いが?

 検察側、被告側とも控訴。東京控訴院から変わった東京高裁で審理が続いたが、新聞の扱いは小さくなった。弁護側が無罪を訴えたのに対し、検察側は「不敬罪は成立するが、大赦により免訴」を主張。控訴審判決は翌1947年6月28日だった。この年4月の総選挙で日本社会党が第1党となり、片山哲を首班とする3党連立内閣が発足。5月3日に新憲法が施行されていた。6月29日付朝日の記事はベタだったが、記者にとっても不可解な結果だったのか、戸惑いが表れている。

不敬罪は成立

 牛堀裁判長から、検事の主張通り、大赦による免訴の判決が言い渡されたが、判決理由で一審判決通り、犯罪は一応成立するものと明示された点が注目される。ただし、この免訴で、松島松太郎氏の不敬罪は犯罪として成立することになるが、事実は大赦によって処罰はできない結果となる。

控訴審は不敬罪成立、免訴の判決(朝日)

「法学セミナー」1977年4月号掲載の松尾浩也「大法廷判決巡歴/刑訴法1大赦と免訴(1)――いわゆるプラカード事件」によれば、控訴審判決の趣旨は次のようだった。