「天皇政治のパロディーだった」
これは食糧メーデーの前夜、勤務する田中精機の寄宿舎にみんな集まって、ああだこうだとわいわい言いながら、私自身が書いたものでした。
当時、寄宿舎の周辺に、(戦時中の)建物疎開などで壊された家財や襖(ふすま)がたくさん投げ捨てられておりました。畳1畳ほどの襖を半切りにして柄を付けると、ちょうどよい大きさのプラカードになるのです。それを5、6枚拾い集め、半分に切って白い紙を張り付けました。金属を塗装する場合、鉄粉に着色しますが、その塗料を青竹で罫書き(目印をつけて書く)したのです。カラーだったから、なお目立ったのでしょうね。
どんな文言がよいだろうと、はじめはわいわいがやがや、実に楽しく話し合っていました。けれどもまとまらず、結局私に任され、プラカードのほとんどは私が書く羽目になりました。それで、即興詩を書くみたいに書きなぐったのです。十何枚は書きましたね。その1つが「詔書 ヒロヒト曰く」だったのです。裏の文句も私が書きました。
裏面は「働いても 働いても 何故(なぜ)私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答へ(え)て呉(く)れ 日本共産党田中精機細胞」という文句でした。
私はプラカードで思念を表現する場合、天皇に対する風刺や天皇制批判を込めた内容のものとすることを決めていた。ど派手に書いた表面の文句はまあヒットしたのですね。
「詔書 ヒロヒト曰く」のプラカードは、皇居前の(食糧)メーデー会場では特に目立ちましたね。
赤と緑の2色でしたけれども、黒味がかった感じに映っていたと思います。
会場のあちこちでプラカードを手いっぱい伸ばして掲げ、これを日映のカメラマンやサン写真新聞社の記者が撮っていました。プラカードは集会後、日比谷公園までのデモ行進でも、警視庁玄関前の小集会でも、また皇居坂下門前の集会でも掲げました。
「天皇が明治憲法下で大権を行使する詔勅の形にしたのはなぜか」との質問に松島氏はこう答えた。
(食糧)メーデー参加者に、天皇の存在や天皇制の問題について考えてもらいたいという思いがありましたね。号令をかけて国民を戦争に動員し、かつ生命や財産を奪った張本人はヒロヒト天皇=裕仁天皇、すなわち昭和天皇ですよ。太平洋戦争は裕仁天皇の「宣戦の詔勅」で始まりました。これは厳然たる事実ですよね。太平洋戦争も裕仁天皇の「終戦の詔勅」で終結しました。裕仁天皇の意思で戦争が始まり、そして彼の意思で戦争が終わった。
明治憲法の下における天皇は絶対の主権者=朕であり、現人神(あらひとがみ)であり、統治権の総攬者であり、帝国陸海軍の大元帥でした。天皇の臣民に対する命令と意思は、形式として「詔書」をもって周知されました。朕の言葉としてね。詔書は天皇の最高意思を示す形式ですよ。「詔書 ヒロヒト曰く」はこの形式をもじったものです。
プラカードは、詔書という古式例においてなされる朕の政治=天皇政治を風刺したものです。文学作品の1つの形式に、有名となった作品や韻律を模したパロディーがあります。あのプラカードは、詔書という形式をとってなされる天皇政治をパロディー化したものでした。