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連載昭和事件史

「朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて…」日本中が食糧難にあえいだ終戦直後…プラカードの文字が広げた波紋

「朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて…」日本中が食糧難にあえいだ終戦直後…プラカードの文字が広げた波紋

日本の戦後が変わった「プラカード事件」 #2

2021/06/06
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「限度を逸した誹謗」

 新聞には載っていないが、松島松太郎氏はこの14日に逮捕されていた。同年6月22日、不敬罪で予審抜きでの起訴処分が決定。6月23日付朝日朝刊には佐藤検事正の「限度を逸した誹謗(ひぼう)」という談話が載っている。

ついに不敬罪で起訴(朝日)

 被疑者は、刑法の不敬罪の規定は昨年10月4日付の言論自由に関する連合軍総司令部の指令によって既に死文と化し適用されぬものであると主張し、本件プラカード記載の標語は天皇制に関する政治的批判を風刺的に表現したものであると弁解しているのである。しかし、右の連合軍総司令部の指令は、あくまで公正なる言論の自由を指令されたのであり、国家の元首としての天皇の栄誉をはじめ、国民各自の名誉といえども、これを侵害するがごとき言動まで容認されたものでないことを確信している。もし、かかる言動が無制限に放任せられるものとすれば、かえって日本の民主主義的発展を妨げることになろう。しかして、本件プラカード記載の標語は、天皇制に対する政治的批判の限度を逸脱し、天皇ご一身に対する誹謗を内容としており、著しく天皇の栄誉を棄損する事案と認めたので、裁判所の厳正公平なる審判を待つことにした。

問題のプラカードを持つ松島松太郎氏らしい人物(「画報近代百年史」より)

 前年10月4日のGHQ指令とは「人権指令」と呼ばれ、日本政府への事前通告なしに、天皇制批判を含む言論の自由や政治犯の釈放などを要求。これを受けて日本政府は、治安維持法と特別高等(特高)警察の廃止や内務大臣、警察首脳らの罷免を決めた。

 それ以前に日本政府は、太平洋戦争の無条件降伏を受け入れたポツダム宣言で、言論の自由を含めた人権尊重の確立を受け入れていた。また、起訴決定4日前の6月18日には、東京裁判の主任検事キーナンが天皇を戦争犯罪人として訴追しないことを言明していた。

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東京・芝高輪の職人の家の次男に生まれた松島氏

「法政大学大原社会問題研究所雑誌」は2003年5月号と6月号、8月号の3回続きで松島氏の詳しいインタビューを掲載している。

 それによると、東京・芝高輪の職人の家の次男に生まれ、高等小学校を卒業したが、経済的な理由で旧制中学には進めず日銀の給仕に。かたわら、大倉商業夜間部に通学。そこで左翼運動に関心を持ち、文化活動などをした。中央大専門部法科に進んだが、警視庁に検挙され、結核にかかって大学は中退。日銀も病気退職した。

 1941年春、田中精機に経理事務員として入社。工場内に左翼グループをつくり、徴用工や勤労動員学徒らへの啓蒙活動を続けた。終戦後の1945年11月、日本共産党に入党。田中精機労組を結成して委員長になったほか、都内の地区オルグに従事し、食糧闘争でも積極的に活動していた。プラカード作製のいきさつは次のように語っている。