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何が正解なのかわからない

 この間に、イタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどでは都市封鎖(ロックダウン)と同時に休業補償をすみやかに決定。東京の飲食店でも、「早くロックダウンを」「休業と補償のセットを」との声が高まり、誰もがジリジリしながら首相の言葉を待っていた。

 そしてやってきた4月7日。待ちに待ったと叫びたい緊急事態宣言では、しかし「ロックダウン」も「休業」も、ましてや「補償」の言葉など一つも出てこない。引き続き「自粛」を徹底せよ。つまりは、昨日と何も変わらないということだ。

 この瞬間、店主たちは「自分で生き延びていかなくてはいけない」ことを決定的に悟った。

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 先に「激変する情勢」と書いたが、それを飲食店の現場で言えば、たとえば3月に入ってもまだマスクを着用した接客なんて「ナーバス過ぎる」と捉えられていた。

 店のドアを開けたお客はマスク姿のサービスマンにギョッとし、スタッフの間でも「レストランの雰囲気を損なう」「でも怖いよね」と意見が割れ、同業者からは「飲食業界のイメージを損なう」と注意された。

 コロナ禍以前の感覚で言えば、そんな反応になるのはあたりまえだ。なぜなら、レストランは「お客が日常から離れて夢見心地になる場所」なのだから。

©️iStock.com

 新型コロナウイルスの怖さを知った2021年の私たちからすれば、マスクをつけるのがあたりまえ。しかし何もかもが初めての第一波では、そんな「あたりまえ」のものさしが壊れゆく渦中にあったのだ。

 店側から予約客に日時の変更をお願いする失礼も、「それでも行きたい」と言ってくれるお客に頭を下げる切なさも、1日に何百件ものキャンセルを一度に受ける悔しさも、耐え難い初めての経験。

 善だと思っていることが悪だと言われる。信じてきたものが間違いになる。それまでの「あたりまえ」に容赦なく入り込んでくるコロナ禍の「新常識」に戸惑い、揺れに揺れ、価値観が崩壊する恐怖。

 前に進むことが駄目ならば、どっちの方向へ歩いていけばいいのか。

「何が正解なのかわからない」

 あらゆる価値観の転換を突きつけられた日々、それが第一波だった。