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堂場 いやあ、人生のターニングポイントはいつだったかって聞かれることがあるんですが、自分の中では正直そんなものどこにもないって感じなんですよね。シームレスに生きてきたから。服藤さんの場合は、やはりオウム事件に携わったときですか?

服藤 オウム事件は2度目のターニングポイントでしょうか。最初のターニングポイントは、科捜研に入ったものの挫折して、博士の学位を取るために大学で再び勉強したときです。

堂場 科捜研の主任昇任試験に2年連続で落ちてしまい、腐ってしまわれたんですよね。それをきっかけに科捜研の仕事をしながら東邦大学の医学部で勉強されたとか。

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服藤 いまは仕事をしながら大学院で学べるコースもありますが、1980年代はありませんでした。ただ、東邦大学医学部薬理学教室で出会った伊藤隆太教授が、「君は公務員で給料も少ないだろうから、今日から僕の無給助手だ」と、学費を取らずに勉強させてもらったんです。

堂場 結果、博士の学位を取得されるんですよね。

服藤 ええ。ただ、学位を取りたい取りたいと焦っていた私は、ある日伊藤先生から「博士は取ったら終わりではなく、そこから始まるんだ」と叱られたんです。以来、なんとか社会のために貢献しようと思うようになりました。もし伊藤先生のもとで勉強して毒物の専門家になっていなければ、オウム事件が起きた際に声もかからなかったでしょう。

©石川啓次/文藝春秋

堂場 それは大きなターニングポイントですね。いまお話を聞いて、自分の場合、記者時代に身体を壊してしまい、異動させてもらった時が転機になったかなと思い至りました。それで時間ができて小説を書くようになったんです。

服藤 身体を壊すくらい働いてらっしゃったんですね。警察官でもそうやってがむしゃらに働く世代というのは昭和の中頃生まれの人に多かったです。私も同じようにがむしゃらな時期があったからこそ、様々な事件を任されるようになりました。おかげで退官した現在も、経験を活かして、広域技能指導官という役目をいただいて全国の警察官にノウハウを伝えているんです。

堂場 ただ、捜査技術って、聞き込みや自供を取るなど、マニュアル化できない職人芸が多くないですか?

服藤 言葉だけではどうしても伝えられません。一緒に経験しながら、個人個人が自分の手法を見つけていくしかないんです。