日本の殺人事件の半数は、家族を主とした親族間で起きている。殺人事件の認知件数は1954年をピークに少しづつ減少しているものの、親族間の殺人事件はここ30年ほど変わっておらず、割合としては高まっている。
人はどんな理由から家族を殺すのか。事件が起こる家庭と、そうでない家庭とでは何が違うのか。ノンフィクション作家・石井光太氏の『近親殺人―そばにいたから―』(新潮社)より実際に起きた事件を紹介する。(全2回の1回目/#2を読む)
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小佐野晴彦(仮名)=57歳。恋の夫。会社を経営している。離婚歴あり。前の妻との間に娘が一人いる。
小佐野恋(仮名)=34歳。晴彦の妻。27歳までに二度の離婚歴あり。解離性障害、記憶障害、窃盗癖がある。
小佐野瑞貴(仮名)=5歳。晴彦と恋の子供。母親に甘えられずにいる。
※すべて事件当時の経歴である。
小佐野晴彦は50歳の頃、当時27歳だった恋と携帯サイトを通じて知り合った。23歳年下の恋に心を奪われ、すぐに交際を始め、同棲生活を開始した。一緒に暮らす中で恋に窃盗癖や虚言癖があることを感じるも、惚れ込んでいたこともあり、深刻なものとして受け止めなかった。
同棲開始から間もなく恋の妊娠が発覚。2009年に瑞貴が生まれた。出産の翌月に入籍し、家族三人の新婚生活がスタートしたが、恋が瑞貴をかわいがることはなかった。料理、洗濯、育児をほとんどしない恋に変わって家事育児全般を晴彦が担っていた。恋は瑞貴と目も合わせず、話しかけることはほとんどなかったという。
2014年12月23日、事件は起きた。都内某所のホテルで行われたクリスマスパーティーで、恋は瑞貴をトイレに閉じ込め、ひも状のもので首を締め殺そうとした。間一髪のところで瑞貴は救出され命に別状はなかったが、これが恋が瑞貴に危害を加えた最初の出来事であった。晴彦はこの一件を大ごとにしたくなかったため、救急車を呼ばずに瑞貴が落ち着くまで介抱した。
翌日は、朝から曇っていて冷たい風が吹きつけていた。幼稚園は冬休みに入っていたため、晴彦は昨日と同じように恋と瑞貴を連れて会社へ出勤した。
社内は年末が近かったこともあって、従業員たちには普段よりゆったりとした雰囲気が漂っていた。だが、彼らは瑞貴の顔を見た途端、ぎょっとした表情をした。瑞貴の顔についた傷ははっきりとわかるほど変色しており、首についたヒモの痕も昨夜よりも濃くなっていた。従業員たちが「どうしたの?」「何があったの?」と口々に尋ねてくる。
晴彦は瑞貴に嫌な記憶を蘇らせたくなかったので言葉を濁したが、従業員たちが納得するはずもない。代わりに恋が笑顔を振りまいて言った。
「大丈夫。何でもないから、気にしないで!」
まるで他人事のような口調だ。
それを聞いた瑞貴が思わず声を荒げた。
「違うでしょ! ママがヒモでぐいぐいやった!」
自分を死の一歩手前まで追いやって、何食わぬ顔でいる母親が許せなかったのだ。
晴彦はここで騒ぎを起こしても厄介なことになるだけだと考え、憤る瑞貴を抱き寄せた。瑞貴は父親の気持ちを察して口をつぐんだ。晴彦は瑞貴のことを思いやり、ひとまず恋と引き離すことしかできなかった。
この時の気持ちを晴彦は次のように語る。
「ホテルでの騒動が、木村恋が瑞貴に危害を加えた最初の出来事でした。これまでは叩いたり、首を絞めたりといったことはなかった。だから、私自身もホテルで起きたことを整理するまでに時間がかかりました。
あの晩、私はきちんと瑞貴からトイレで起きたことを聞き、首や顔の怪我も写真に撮っておきました。離婚するとなれば、その理由を証明する材料になると思ったからです。ただ、この時点ではまだ暴力沙汰が起きたのは一回だけだったので、離婚を強行するというより、恋の病院での治療を一日でも早く開始させることを考えていました。
クリスマスの後、私は都内のいくつかの病院に問い合わせて事情を説明し、入院を頼みましたが、症状や時期的なこともあって受け入れ先は見つかりませんでした。でも、会社での平然とした態度を見ると怖くなり、早く入院先を決めて何が何でも瑞貴と引き離さなければならないと思いました」
その後も、晴彦は仕事の合間を縫って医療機関に問い合わせたが、年の瀬ということもあってなかなか望むような返事をもらえなかった。焦りが募る中で、5日が経った。
12月29日、東京の冬空は透き通るように晴れ渡っていた。会社はすでに年末休暇に入っていたが、晴彦は雑務を片付けなければならなかったため、恋と瑞貴を伴って出勤していた。