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「評価値ディストピア」の世界をトップ棋士はどのように見ているのか

「評価値ディストピア」の世界をトップ棋士はどのように見ているのか

佐藤天彦九段インタビュー #1

2021/06/18
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――それが戦略にどう影響するのでしょうか。

佐藤 初形から話を始めると、基本的に先手の初手は▲7六歩か▲2六歩で、そこで後手がどう指すかが早くも岐路なんです。大きく分けると2つで、「評価値を下げずに頑張るぞ!」っていうのが△8四歩です。そのかわり現代の居飛車三大戦法である矢倉、角換わり、相掛かりといった戦型の最新形のシビアな変化を整理して、受けて立つ覚悟が必要になります。

 2手目△3四歩ならそういった居飛車の主流研究を外してシビアな研究合戦に押し込まれないとはいえ、評価値の低い戦法を採用せざるをえない。確実に50点、100点は下がると思われています。例えば横歩取りは評価値が低いし、雁木系も横歩取りほどは下がらないかもしれないけど、相手に主導権を握られる。そして、振り飛車も点数が下がる。どれも先手がアドバンテージを得られるわけです。

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 1回だけの勝負なら、押される展開になってもいいんです。でも、ずっとそうやって対局を続けていくのは厳しいかもしれない。そこで棋士は悩み、自分のスタイルを考えるわけです。もちろん、研究だけで勝負が決まるわけじゃありませんし、そんな細かいことを考えずに好きな戦法を指すという人もいます。

相当なクオリティで事前研究しなきゃいけない

――トップ層はほとんどが居飛車党で、最新形を巡って研究をぶつけ合っています。どんどん細かくなっていませんか。

佐藤 相手がシビアなだけに自分もシビアにならざるをえないですからね。どこまでも家で研究しないといけないうえに、突き詰めても結論は互角で後手が間違えやすい局面も多いです。

 例えば、今年1月の王将戦第1局▲渡辺明王将-△永瀬王座戦も、そういった思想のぶつかり合いでした。渡辺さんは「いくらソフトの評価値は互角でも、人間には玉が裸で危ない形を指しこなせないでしょ」と問いかけて、永瀬さんは「このラインなら、耐えられると思いますよ」とせめぎ合っている。結果は渡辺さんが勝ちました。永瀬さんぐらいの人が研究して臨み、2日制の持ち時間があっても指しこなすのが難しかったわけですよ。

 

――タイトル保持者が準備して考え抜いても大変となると、ハードルの高さが伝わってきます。

佐藤 しかも、あの最新定跡も一変化で、ほかにも知らないといけないことはたくさんあるんですよ。そういう一直線で危ないうえに、さらに先手にパスとかで揺さぶられたりします。少しでも形が違うと仕掛けが成立し、結論が変わってきますからね。そのときは後手が本来やりたい形に誘導するルートから外れないように、なおかつ現局面でも悪くならない手を指して、均衡を保たないといけない。そのためには、そもそもソフトの手を暗記するだけではなく、どういう仕組みでバランスが保たれているか、どうやってソフトの定跡が有力な状況に突入していくかを理解しておかないといけないわけです。

――相手に常に狙われて、しかも射程圏内に入ってしまうとソフト研究の後押しがあって容易に抵抗できない。一瞬の判断ミスが命取りになるから、いくら準備しても不安なままなんでしょうね。

佐藤 ええ。角換わりは戦型の性質上、最終盤まで突き詰められるので事前研究の度合いが重くなるんです。でも、最近は相掛かりや矢倉もそういう将棋が増えてきて、相当なクオリティで全部やっていかないといけないです。

写真=松本輝一/文藝春秋

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