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2021/06/12

細長い公園とキャットストリート

 表参道を越えるとブランドショップやカフェが並び賑やかな暗渠が続く。

 1980年代から呼ばれ始めた「キャットストリート」の名は当初この付近を指していたという。由来には諸説あるが、そのひとつに暗渠沿いの高校の生徒が、猫が多いため「猫通り」と呼び始めたという説がある。今の様子からは想像できないが、当時渋谷川の暗渠上は、野良猫も生息する児童遊園だった。

 1960年代後半から70年代にかけ、都内では人口集中と第二次ベビーブームにより児童が溢れ、遊び場が不足していた。そんなときに着目されたのが、暗渠化された川の上のスペース。細長く中途半端な故、多くが未利用のまま放置されており、これらが児童遊園に転用された。

 渋谷川の暗渠上も1967年に遊具や植栽が置かれる。暗渠ならではの裏側感とゆっくりとした時間を帯びた空間は「裏原宿」の揺籃となったのだろう。少子化や老朽化に伴い1996年には公園は撤去され、暗渠は区道として整備されてメインストリートへと変貌を遂げる。

〔川沿いの道が残る〕かつての川沿いの道が、暗渠より一段低くなったところに残る。

 現在では、明治通り近くにだけ、暗渠上の公園が残っている。そこにはもはや猫はいないが、変わらず遊ぶ子供たちや一休みする大人たちの憩いの場となっている。公園の区間を挟むように、路上に「八千代橋」と「なかよし橋」の遺構が残る。いずれも欄干こそないものの、前後のアスファルトとは明らかに異質で、橋であったことがよくわかる。

〔暗渠を転用した公園〕明治通りの手前には暗渠を転用した公園が残る。

 一方で、八千代橋には「消火用給水孔」と記された四角い鉄の蓋が2箇所残っている。これは戦前、空襲による火災が起こったときに川にポンプのホースを下ろし、消火用の水を汲み上げるために取り付けられた蓋だ。戦時下の記憶が人知れず路上に残っている。

水車の回っていた渋谷駅前

 明治通りを越えると、再開発で賑やかになった宮下公園だ。ビルの日陰のうらびれた駐輪場から、飲食店の屋外席が並ぶ賑やかな表通りへと変貌を遂げた暗渠を通り抜ければ、再開発工事が続き高層ビルが空を覆う渋谷駅前に到着する。

 その風景からは全く想像がつかないが、かつて渋谷駅東口バスターミナルの付近には杵40本を動かす大きな水車があった。明治時代には三井財閥の三井八郎右衛門の所有となり、水車稼働の売り上げで、ヒカリエの場所にあった渋谷最古の公立小学校「渋谷小学校」の運営費を賄っていたという。

 この他にも、渋谷川には江戸時代から大正時代半ばにかけ、水車がいくつも架かっていた。これらは主に精米に利用されたが、明治に入ると鉛筆の芯の黒鉛や銅板製造、製綿など工業用の動力として利用されるものもあった。いずれも直径4.5~6.6mと大きな水車だった。富嶽三十六景に描かれた「穏田の水車」もそれらのひとつだった。