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 渋谷川の暗渠はそびえ立つ渋谷スクランブルスクエアの地下を抜けていく。渋谷駅の地下に潜り、東急線の改札へと向かう通路の上を見上げると、コンクリートの壁面が出っ張っているが、その中を渋谷川の暗渠が横切っている。

 かつてこの付近には東急百貨店東横店東館が建っていた。渋谷川の暗渠の上に建てられていたため、地下売場がなかった、というのは有名な話だ。しかしスクランブルスクエアの建設では、暗渠は建物の邪魔にならないよう付け替えられた。一見ただの壁のでっぱりにしか見えないところに、原宿方面から続く幅10m、高さ3.9mの矩形の空間がポッカリと空いている。

〔地下に見える暗渠〕渋谷駅地下通路の天井を抜けていく暗渠。かつては東急東横店の地下だった。

そして川は地上へ

 駅南側で地上に出ればそこは渋谷ストリーム。渋谷川はここから地上に姿を現す。水辺空間の再生を謳って2018年に整備された一角を、高度処理水の流れる渋谷川が恵比寿方面へと続く。川をこのまま下っていけば広尾、麻布十番、芝を経て浜松町で東京湾に注ぐ姿が見られる。

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 開渠となる少し手前には、整備前の渋谷川出口に架かっていた稲荷橋がそのまま残る。昭和半ばまで、橋の名称の由来となった田中稲荷(川端稲荷)が、現在国道246号線が通る付近にあった。

 大岡昇平の自伝的小説「幼年」では、大正期のこの付近の様子を「境内の鬱蒼たる大木が渋谷川の流れに影を落としていた。『川端稲荷』の名にふさわしい、水辺の社であった。殊に夏は涼しいから、鳥居の傍の茶店で氷を売っていて、荷車曳きや金魚売りが休んでいる姿が見られた」と記している。

 今、その面影は橋の名前以外には何一つ残っていない。そして今眼前にある風景も、100年後には何一つ残っていないかも知れない。

 暗渠とはいわば都市の綻びや時層の裂け目のようなものだろう。今回は、渋谷川の暗渠を源流から出口まで辿ってみたが、その過程を通して、失われた川がつなぐ空間のひろがり、そして江戸から令和に至る、町や人々と川との関わりの変化が、地層のように土地の記憶として積み重なっているのを、垣間見れたのではないだろうか。

 都内、そして全国の都市にも同じように暗渠はある。暗渠という新たなまなざしを通して見えない町の広がりや奥行きを探し出してみよう。

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失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩 改訂版

本田 創

実業之日本社

2021年2月1日 発売