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「当時、おニャン子クラブが流行っていて、その流れでモモコクラブとか、同じようなグループアイドルがワーッと出てきて。で、その『ミスアクション』の入賞メンバーの中にも『キキミークラブ』という、誰も知らないアイドルグループがあったんです(笑)。

 TBSラジオの公開録音やイベントに出演するのが主な仕事で、そこで中学を卒業した春休みから高校1年の途中ぐらいまで、活動させていただいたんですよね。でも、セーラーズのトレーナーをみんなで着せられたりとかして、なぜそんなことをしなければいけないのか、理解できなかったんです」

 

「大人は笑ってくれているからいいのかな」

 それは80年代の終わり、ちょうど昭和から平成への過渡期に当たる頃だった。革のミニスカをはき、ロックバンドのライブに通い詰めていた中学生は、高校生になると“大人たち”からセーラーズのトレーナーを着せられていた。そんな状況に、さとうは強烈な違和感を覚えたという。

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「ラジオで『珠緒の懺悔の部屋』という、今週こんな失敗しちゃった、神様ごめんなさいっていうコーナーを担当したんですけど、何が面白いのかわかりませんでした。でも、大人は笑ってくれているからいいのかなという感じで。

 あと、日比谷で夜に公開生放送をすると、すごく太いレンズを構えた男の人たちがいっぱいいて、バンバン写真を撮られるんです。そんな状況で『なんでこんなことしてるのかな』『私、こんなことやりたいのかな』と思ってしまって……。写真を撮られるのに慣れていないのもあったんですけど、それ以上に『仕事とは何か』をわからないままやっていたのかもしれないですね」

 

 大人たちに言われるまま、連れていかれた現場で仕事をこなす。公開放送会場に行けば、鈴なりの男性ファンたちに遠慮なくカメラを向けられ、一体どこを撮られているのかもわからないまま笑顔を浮かべなければならない――高校1年生のさとうにとっては、それを“当たり前のこと”として受け入れることができなかった。

“普通の高校生”として……

「同じグループの他のメンバーはほんとに誰にでも愛想良くニコニコ、ニコニコしてて、すごいな、私にはちょっと向いてないなって、そのときに感じちゃったんです。年齢的にも、いろいろ考えちゃう年頃ですよね。反抗期というのか、何だろう。繊細ですよね。あの頃は、みんなそうだと思うんですけど」

 結局、さとうは数ヶ月で芸能界を離れる決断をする。だが、その活動も「地下アイドルのようなもの」だったので、あっさりと“普通の高校生”に戻れたという。