都会への憧れとカルチャー系女子
「部活は帰宅部みたいな感じでした。でも、当時、タルコフスキーとか、フランソワ・トリュフォーとか、エリック・ロメールだとか、そういう難解な映画を見に行ったり、ちょっとわかりづらい文学を読んでいるのが大人っぽくてカッコいいんじゃないかみたいな、自分の中で背伸びしているところがあったんです。
そしたら、気の合う国語の先生が『そういうのが好きなら、ポストモダンアートクラブを作ろうよ』って。それで何人かメンバーを集めて、ちょっと小難しい映画を見ながら、みんなでお菓子を食べるというのを、週に1回ぐらいやっていました」
ポストモダンアートクラブとは、タレント・さとう珠緒のイメージからは新鮮である。「オリーブ少女とかが流行っていたんですよね。船橋というのが微妙に田舎だったので、そういうお姉さんとか、都会への憧れみたいなものがあったんです」。オリーブ少女だったさとうは、ファッションにもこだわりがあった。もちろん古着も着た。「『CanCam』『JJ』とは全然違う世界観で、かわいくて、おしゃれで……あと、わかぎゑふさんのエッセイのファンでした」
卒業後、再び芸能界へ
J-POPが隆盛を迎える90年代に、“カルチャー系女子”として高校生活を満喫したさとうは、ここで再び芸能界へ戻る決断をする。「『キキミークラブ』時代のVTRを見ていたモデル事務所の方から、もし良かったらどうですかって声をかけていただいたんです。ちょうど就職難の時代で、就職活動も大変そうだから、なんとなくいいかな、みたいな(笑)。あのときやめたのは何だったんだって感じですけど、ちょっとやってみようかなと思って。映画が好きだから、女優さんとか、何かできたらいいなという軽い気持ちでした」
だが、さとうを取り巻く状況はガラリと変わっていた。アイドルオーディションで準グランプリを獲得し、周囲から与えられたものをこなせば良かった3年前とは違い、自ら仕事を勝ち取らなければ、厳しい芸能界の中で居場所などどこにもなかった。
「一生懸命CMのオーディションを受けても、ことごとく受からなくて。仕事といっても、たまに紙媒体の広告をやったりだとか、深夜のドラマにちょこっと出てみたりだとかで、きびしい毎日を送ってました。だから事務所では電話番も、事務作業もやっていましたね。やっぱり簡単には売れっこないな、難しいだろうなと自分の中でも思い始めていました」
そんな下積み生活を送っていたさとうを本気にさせたのは、とある誓約書だった。「親戚のおばさんに『今後2年間やって売れなかったら、もうやめなさい』と言われて、誓約書を書かされたんです。日付入りで。『ダラダラしてもダメよ』って活を入れられた感じです」