さとうの人生の転機には、常に彼女の背中を押してくれる“誰か”の存在がある。このとき、親戚のおばさんに書かされた誓約書は、やはり彼女の人生を大きく変えることになる。自らを窮地に追い込んださとうは、代表作となる特撮ドラマ『超力戦隊オーレンジャー』のオーディションに合格したのだ。
「ようやく『オーレンジャー』の仕事が決まって、芸能生活を続けられることになりました」。それは、さとうが初めて掴んだ大役だった。
厳しくて熱かった『オーレンジャー』
1995年3月から翌2月末まで放送された『超力戦隊オーレンジャー』。当時の特撮戦隊ものの典型だった、戦隊メンバーの女子枠、桃色のコスチュームを着る「オーピンク(丸尾桃)」役でブレイクしたさとうは、この作品が自身のキャリア上、大きなターニングポイントになったと語る。
「特撮のスタッフ50人ぐらいが現場、現場で動く、家族みたいなチームだったんです。2話ずつ撮って、終わったら軽い打ち上げがあってという繰り返しだったんですけど、スタッフが昔の映画畑の人だったりして、皆さん職人気質で厳しくて。子ども番組だからなんていう甘えはまったく無いんですよ。立ち位置に止まれなくて照明さんに怒られたりとか、いろいろな人に叱られたりしながら、ちょっとずつ現場での動きを教わりました」
プロ同士がぶつかり合い、一つの作品を磨き上げていく。子ども番組だからといって、一切手は抜かない。そんな緊迫感のある現場に必死にくらいつきながら、さとうは自らの気持ちが大きく変わっていくのを感じていた。「『オーレンジャー』の現場は、仕事ってみんなで作るものなんだという、チームの一員としてのやりがいや楽しさ、面白さを初めて教えてもらった現場だったんですよね。刺激を受けて、自らやるぞっていうスイッチが入った仕事でした。だから、今もすごく感謝しています」
『オーレンジャー』の放送が終了したとき、さとうは23歳になっていた。高校卒業後、オーディションに落ち続け、事務所の電話番をしていた“元・地下アイドル”は、このとき初めて芸能界で生きていく覚悟を決めた。間もなく、さとうはバラエティの世界から声がかかるようになる。一つの作品を、みんなで作り上げる。チームの一員として、自分の役割を全力でこなす――。
だが、その道の先に待っていたのは、「女が嫌いな女」第1位という、予想もしていなかった“称号”だった。
(後編に続く)
撮影=橋本篤/文藝春秋
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