大規模摘発「そんなことあったんですか」
――八木澤さんはもう1人、「泉の広場」に立っていた女性に取材されていますね。みどりさん(仮名)は、30代前半の方でした。
八木澤 大阪の郊外の町で待ち合わせをして、話を聞きに行ったんですけど、30代前半とおっしゃっていましたが、白髪が目立っていて、服装など外見も生活に疲れた雰囲気がありました。
――みどりさんは、いつごろ「泉の広場」に立っていたんですか?
八木澤 7年前から立っていて、3年ほど前に辞めたそうです。摘発が始まる前なので、今回の大規模摘発についても「そんなことあったんですか」という感じでした。自分の居た頃は全然なかった、と話していました。
――みどりさんが「泉の広場」に立った理由は?
八木澤 20代前半に家庭の事情で大阪に来て、最初は「見えチャット」という風俗で働いていたんですけど、そこで全然稼げなかった。それで困って、「泉の広場」近くのラブホテル街にある風俗店で働き始めた。その時、一緒に働いていた子から「泉の広場」のことを聞いて立ち始めたと。当時はデリヘルとの掛け持ちだったそうです。
――みどりさんも、お茶を挽くことはなかったんですか?
八木澤 そうですね。とにかく一番稼げた時代だったようです。月40~50万はコンスタントに稼げたと。「『泉の広場』があった時代はいい時代だった」と話していました。
それが3年ほど前に辞めるころには競争が激しくなったと。安く売る人が出てきたそうなんです。彼女は基本1回2万円ぐらいでお客さんを取っていたのが、1万円ぐらいでやる人が出てきた。
――何となく相場があるものなんですか?
八木澤 そうですね。暗黙の了解みたいな感じで、私が取材してきた横浜でも決まっていました。その中で1人が安くしちゃうと、どんどん価格競争が始まる。すると女性の側も大変なんです。
――みどりさんは稼いだ月40~50万のお金は何に使っていたんですか?
八木澤 パチンコやホストクラブだそうです。特にホストクラブが楽しくて、今も行っているそうです。あり金は全てパチンコとホストに使い、貯金は今までの人生でしたことないと。だから、「泉の広場」で稼いでも全部遊興費に消えたということですね。