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縮小していくビジネスモデル、増え続けるタブー…「さよならテレビ」のプロデューサーに聞いた「テレビの未来」

東海テレビゼネラルプロデューサー・阿武野勝彦氏インタビュー #2

2021/06/19
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「型」にはめようとすると面白いところが切り捨てられる

――この作品が後に「ヤクザと憲法」などを撮る圡方ディレクターの1本目となりますね。ドキュメンタリーとして理事長の取材を始めるとき、「途中の報告はいらないよ。困った時だけおいで」と言って送り出したと本に書かれています。そうやって自由に取材させていたら、とんでもないものを撮ってきた。

阿武野 机に座っている人間(プロデューサー)が「今回のこれは、熱血監督と選手たちの汗と涙の物語だ」と型にはめてしまうと、現場(ディレクター)はそういう切り取り方をしてしまう。そうではなく、ディレクターの眼力を信じて、自由にものを考えさせた方が面白いものが出来ます。現場で気づいたことや、しばらく取材するうちにわかってきたことが本当は面白いのに、型にはめようとすると、そうしたものが切り捨てられてしまいますから。

 やはり取材にいって、理解不能な現実や得体の知れない人物に直面し、それを撮り込んで、そのうえで「こんな人がいるんだよ、どう思う?」と視聴者とコミュニケーションする、それがテレビの豊かな表現だと思います。そのためにディレクターたちが自由な取材時間を持てるようにするのが、机に座っている人間の役割です。

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「あんな業界の汚い話まで流しやがって」

――「さよならテレビ」(2018年テレビ放映)も圡方宏史ディレクターです。東海テレビ局内を取材し、「セシウムさん」事件、派遣などの労働問題などをあからさまに映し出す作品ですね。これを見てびっくりしたのは、局の営業が広告主への配慮からニュースで是非取り上げてほしいネタとして番組に持ち込む「Z案件」をそのまま流していたことです。

 阿武野 私も驚きましたよ(笑)。

さよならテレビ ©︎東海テレビ

――自由に取材させたらそこにいったか!と。

阿武野 行っちゃったんですね。でも、組織の人間は、それが癇に障るんですね。「あんな業界の裏舞台まで暴きやがって」って。

 実は私も20年以上前のことですが、テレビ局そのものを撮ろうとしたことがあります。メディアリテラシーについてのドキュメンタリーを作ることになり、児童がカメラを持って取材したものをお昼休みに流す小学校や、ドキュメンタリーを作る高校生を追いながら、その一方で「本当のテレビ局の姿はこうなんです」と裸になってみようと。ところがその取材をやっているうちに、現場から営業へと飛ばされてしまった。

 私にとってはそれが「さよならテレビ」の根っこにあるのですが、まさか圡方が「Zネタ」まで入れてくるとは思わなかった(笑)。