昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載昭和事件史

2021/06/20

「私のしたことは間違っていたのでしょうか?」

 本人の名前の表記は「石川さつき」としたものも多いが、手記などでは「石川皐月」となっており、引用文以外はその敬称付きで統一する。記事には以下のような談話が付いている。

皐月さんの話 私のしたことは間違っていたのでしょうか? 間違っていたとすれば、父母や妹まで苦しんでいることにどう責任をとったらいいのでしょう。不正を見ても黙っているのが村を愛する道なのでしょうか。

 市郎さんの話 田舎では有力者の言う通り、黙々としていなければ暮らせない。子どものしたことを聞いたとき、思わず「困ったことをしてくれた。生活の問題だぞ」としかったものの、子どもは正しいことをしたと思っています。この正しいことが結果は無言のつるし上げに遭う始末になったのです。敵意に囲まれたここでの生活はもう続けられない。早く引っ越したいと思っています。

 

富士宮高校社会科担任・山香教諭の話 石川さんは優秀な生徒です。社会科の教師として、「正しいことはあくまで押し通すべきだ」と教えながら、現実の社会悪に対して全く無力だということは大きな悩みです。

佐野村長の話 石川の娘さんは中学からの秀才で、奨学資金ももらっている。石川さん一家がいじめられているという話は知らないが、警察で調べられた人たちが“盗人の逆恨み”をして、両方で気まずくなったのだろう。至急事情を調べてみる。

 

佐野配給所長の話 組長あたりが中心になって申し合わせをやり、農具を貸さない、暮らしに困っているのを知りながら田植えの手伝いも頼まない、という話があるのを聞いている。私自身は石川君の娘を恨んじゃいない。石川君一家をいじめるようなことをするのは私たちに対する忠義立てかは知らないが……。

 

静岡地検・山本次席検事談 今度の選挙違反は、村人の無知を利用した点で悪質なものだった。こうした違反事件はなかなか見つからぬもので、摘発に端緒を与えてくれた石川さんの勇気は褒められてよい。自分たちが悪事をはたらいて、これをただそうとした人を逆恨みするとは全く言語道断で、当然人権問題になるだろう。

事件当時、17歳の石川皐月さん(「アサヒグラフ」より)

 村八分について神崎直美「近世日本の法と刑罰」は「村法に違反する行為を行った者に対して、村内居住は認めるものの、火事や葬式以外の村落生活について、もしくは生活全般にわたり村内で付き合いを拒否する制裁をいう。当時の農村生活は、日常において近隣の相互協力なくしては成り立たないため、村八分の適用は大変厳しい処置であった」と書く。

 火事と葬式の「二分」は付き合うが、残りの「八分」(出産、元服、婚礼、追善、建築、病気、水害、旅行)を断ち切る。「村外し」「組外し」などとも呼ばれた。実際には時間がたつと崩れ、永久的な絶交ではなかったという。

「あまりにも正々堂々たる」違反

 朝日の記事の反響は大きかった。

「富士宮市史 下巻」は「“村八分”事件」に1節を割いているが、いち早く『ラジオ東京』(現TBSラジオ)では6月27、28の両日、現地を訪れ、石川さん一家をはじめ、部落の人たちの声や同村の青年団と、さらに富士宮高校の先生や生徒の意見などを録音して『マイクは探る』という番組で7月1日夜、20分間放送した。