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「自分が住んでいる村だからこそ抗議したんです。自分の住んでいる村がこんな不正を行っているということは、本当に悲しむべきことではないんですか」と反論すると、「違反の起きたのはここだけではないのに」などと責められた。

石川皐月さんの手記「村八分の記」

 5月29日付朝日静岡版には「管理者も替玉を黙認 上野村の不正投票事件送検」の記事が。それによれば、上野村の主食配給所主任から「棄権者の入場券を回収してくれ」と頼まれた同村馬見塚新屋下組の組長が10枚、塚本の組長が7枚を集め、投票所で渡そうとしたが、配給所主任の姿が見えなかったため、選挙管理者の1人の役場書記に渡し、書記から主任に渡された。

 ほかにも頼まれて入場券を集めたり、替え玉になって投票したりした者が6人いた。調べに当たった国警富士地区署=当時は国警(国家地方警察)と自治体警察の2本立てだった=は5月28日、静岡地検吉原支所に事件を送致した。

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 わだつみ会は、現地調査の結果、投票数2450票のうち、有権者本人が投票したのはわずか1000票で、残り5分の3の約1500票が不正投票だったと推計した(「静岡県の村八分をめぐって」)。

 その結果、「富士宮市史 下巻」によると、投票率は87.1%に達したという。朝日の記者が村役場に問い合わせ、車を自宅に乗りつけたことで、記事のニュースソースが彼女であることを地域の人たちに知られてしまった。「村人の反感的圧迫が私の家に一途に迫ってきた」「群衆の圧迫は、特に理性のない感情の圧迫は、考えるひまを与えないすさまじさを有している」(感想文)。

「正しいと思って行ったことに対する報酬は重すぎた」

 上野中学に通っている妹は、小学生につきまとわれて「スパイの妹だ」「赤の妹だ」といってののしられた。再度取材に乗り込んできた朝日の記者も子どもたちに車を取り囲まれ「スパイが来た」とはやし立てられたと「静岡県の村八分をめぐって」は書いている。

「正しいと思って行ったことに対する報酬は重すぎた」

「信念は、どんな理由によっても曲げられてはならぬ、偽ってはならぬと固く信じてきたつもりだったし、今後も信じ続けたい」

「私は正しいと信じて行ったし、いまも正しかったと信じている。だが、家に迫ってくる圧力は日々強くなり、冷酷さを増す。この事実をどう割り切ったらよいというのだろう」(感想文)

 思い悩んだ皐月さんは山香教諭に相談。「感想文にまとめて持ってきたまえ」と言われて書いたのが「アサヒグラフ」に載った感想文だった。読んで「村八分」の実態の深刻さと政治的背景の複雑さに驚いた山香教諭は、朝日新聞東京本社にいた友人に感想文を送って問題解決に協力を求めた。それが6月23日付夕刊の「私は間違っていますか?」の記事に結びついた。

 朝日は6日後の6月29日付夕刊社会面トップで「皐月さん 勇気を持って… 全国から激勵(励)殺到 だが、冷たい村人の態度」という記事を載せた。全国から激励の手紙が殺到し、石川家を素通りしていた回覧板が回されてくるようになったものの、「実質的には相変わらず絶交状態が続き、かえって村八分を正当化しようと“逆恨み”さえ強くなっている現状だ」と指摘。次のように書いた。

皐月さんには激励の手紙などが殺到した(朝日)

「村の知識層とみられる村長や富士地方事務所員たちまでもが『困ったことになったが、石川さんの方に何か弱みがあるに違いないし、部落の人たちとしても、皐月さんのために摘発されたんだという、面白くない感情を持っている面もあるのでしょう。時間がたてばなおりますよ』と、迷惑したという態度を見せている」