「私はもういいんです。これまでに神輿を何十基と作ってきましたから。私のことではなく、後継者を育てたいのです。もうそろそろ、私が下の者に技術を伝えていかないといけないんです」
刑務作業を通じて自分の仕事に誇りを持つようになり、その技術を廃れさせたくないという思いに変わったのだ。
元刑務官が、苦笑いを浮かべながら回想する。
「班長の言葉を聞いた時に、この人はどうして刑務所にいるんだろう? とまで思いましたよ」
同じ千葉刑務所の金属加工場では、自動車部品の溶接作業が行われていた。半年間、不良品を出さなかったとして、工場の班長は、発注した企業の責任者から感謝状を渡された。すると班長は元刑務官にこう言った。
「私はこの工場の代表として言わせて頂きますが、私たちがここでやっている作業は、不良品が出ないから仕事の発注がくるんですよね? 私たちがもし不良品を出したら、ここの『名折れ』になると思っています。だからこれからも頑張ります」
これも自分たちの溶接作業に対する矜持の現れだ。
受刑者が「自分1人の力で頑張れたわけではない」
「縫製工場内でミシンの音しか聞こえない時に、充実した作業ができているなと思いました」
こう語る前出の担当事務官にも忘れられない場面がある。
今から5年ほど前の、福岡刑務所でのことだ。金属工場が表彰され、その工場で最も長い受刑者が皆の前でスピーチをした。
「自分1人の力で頑張れたわけではなく、これまでやってきた先輩がいたからこそ、ここまでできました。その誇りを受け継いでいきたいです」
その場に立ち会った担当事務官が、当時を思い返す。
「その工場は暴力団の割合が多いところでした。金属加工は体力を使うので、生きの良い受刑者が配置されます。そんな中で、物作りについて、周りに人がいたからできたんだ、という言葉を聞き、しっかりしたことを言えるようになったんだなあと、感慨深い気持ちになりました。刑務作業が思い描いた通りに実現できて良かったなと」
刑務作業を通じて見えた塀の中の世界───。
近年は受刑者の高齢化が進み、作業内容もより負担がかからない紙細工などに変わっている。新型コロナの感染拡大以降は、医療用ガウンが製作され、今年1月半ば現在、全国で約130万着が医療機関に納品された。これは東日本大震災の発生時、被災地の仮設住宅に送られた家具と合わせて「社会貢献作業」と呼ばれる。
実は出所が刑務所という日用品は、意外にも身近なところにあり、知らず知らずのうちに日常生活で使われているのかもしれない。その作り手は、かつて罪を犯した人間だ。とはいえ物自体には本来、罪はないはずである。
写真=水谷竹秀
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