目の前の1000ドルに心揺れる被験者たち
客室にはいってまず最初に中佐は荷物をベッドに置いて、バスルームへ行く。もどってくるとテレビをつけ、手早く室内を調べはじめる。ドアに貼ってある料金表に目を通す。ライティングデスクの抽斗をあけて閉める。それから軍服の上着を脱いでクロゼットのハンガーにかける。そのときだ——中佐がクロゼットの棚に置かれている小型のスーツケースを見つけるのは。中佐はスーツケースを棚からおろしてベッドに置く。小さな南京錠に触れるが、開けようとはしない。こういった立場に置かれた客の例に洩れず、大佐はしばしいまの自分の立場に考えをめぐらせる。
これこそ、わたしが愛してやまない瞬間だ。被験者の頭のなかには、真実を告げるか、あるいは不正直になるかという疑問がすばやく駆け抜ける。こんな疑問が頭に浮かぶ。ここで錠前をこじあけて1000ドルを頂戴するべきか? それとも聖書でいう“善きサマリア人”になって、スーツケースをオフィスへもっていくべきか? こんなときは、観察対象者の心の声がきこえてくるようだ。スーツケースがここにあることはだれも知らないし、なかには1000ドルはいっていて、その金をつかってもだれにも知られないぞ。
この中佐の場合には、決断に到達するまでに十分を要した。最終的には悪が窮極の勝利をおさめた。中佐はまず指で南京錠をひねってはずそうとしたが、これには成功しなかった。中佐はいったん客室を出て、油断なくドアをきっちり閉めたのち、車からドライバーをもって引き返してきた。引き返してきたときは、ドライバーをつかうことにためらいを感じているようだった。中佐はふたたび客室をあとにして、ふらりとオフィスへはいっていった。ドナがその姿を見かけて挨拶した。中佐はなおしばらくオフィスをぶらついていたが、これは自分がスーツケースを手にしている事実をだれかが把握しているかどうかを見定めようとしていたのかもしれなかった。