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「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ

『二十歳の君へ』より #2

2021/06/26
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 それにしても、あの三島さんの死に方はショックでした。自ら切腹した上で、森田に介錯させ、自分の首を斬らせるというあの死に方は、人の想像を絶するものがありました。現場があまりにも凄惨であったため、当局の発表にも、それを報道する側にも自然に抑制がかかり、結局、現場の様子がリアルなかたちで表に出たのは、10年も経ってから、写真雑誌『フライデー』が、当局が保管していた現場写真をスクープというかたちで掲載してからのことです。あの写真は警視庁公安部の右翼担当の部員が、現場写真として保存していたものです。あの日内部から鍵をかけた総監室で行われた、切腹から斬首に至るまでの一部始終を、公安部員は廊下側の天窓ごしに全部ウォッチしながら、証拠写真を何枚も何枚もバチバチ撮りまくっていたのです。公安部員というのは、右翼担当でも左翼担当でも、どんな重大な事件に遭遇しても、それに直接介入することなく(止めに入ったり逮捕したりせず)ただひたすら、事の成り行きをじっと見ているという習性があるのです。普通の人なら必ず目を背けるに違いないどんな恐ろしい場面でも、じっと見続けることをもってよしとする職業倫理があるのです。

 この話を聞きながら、公安という組織の空恐ろしさは、その組織原理の奥底に流れる、このようなとことんまでのニヒリズムにあると感じました。後に僕は『日本共産党の研究』の中で、戦前の特高組織の空恐ろしい側面を次々に暴いていくのですが、その原点には、三島由紀夫事件で感じた公安警察の不気味さがあったように思います(公安警察の前身が特高警察)。

©文藝春秋

 なぜこんな話をするかといえば、君たちがどれほどものを知らないかを教えるためです。大学生は、この社会ではまだヒヨコのごとき存在です。二本足でやっと歩けるようになったので、本人はもう一丁前になったつもりでいるかもしれませんが、実はまだ世間様のことなどほとんど何も知らない存在なのだということです。

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 例えば、君たちの常識では、メディアをちゃんとウォッチしていれば、その報道を通して世の中の動きのたいていのことは分かるはずだと思うでしょう。しかし、メディアの現場を何度も踏んできた人間として断言できることは、メディアの報道をいくらカバーしても、本当に社会で起きている事象の大半は分からないままに終わるということです。特に大事件の場合、報道量は爆発的に増えるけれど、同時に、伝えられないあるいは伝えきれない事実も爆発的に膨れ上がるのです。