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「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ

『二十歳の君へ』より #2

2021/06/26
note

 僕が『田中角栄研究』をやったのは34歳のときでした。そのとき、約20名の取材班をひっぱっていましたから、まあ、マスコミの現場では、働き盛りと言っていい年齢になっていたわけです。

 僕の上に30代後半の担当デスクがいて、この人が日常的に取材の進行をチェックしていました。その上に46歳の編集長がいて、原稿の最終チェックはこの人がしましたが、日常の取材はノーチェックでした。他に取材班の中に大ベテランの取材記者が入っていて、この人が何でも相談に乗ってくれたのが、信頼性確保に役立ちました。チームの仕事は、チーム全体の経験知の集合量で決まってくるものです。

©文藝春秋

 僕は、大学を卒業して、文藝春秋に入り、そこで2年半勤めたあとフリーになり(同時に哲学科に学士入学して大学生に復帰)、複数の雑誌の仕事をするようになります。しばらくすると文藝春秋で週刊誌と月刊誌2誌、講談社で週刊誌2誌(女性誌と男性誌)と月刊誌1誌の仕事をかけもちでするようになりましたので、踏んだ現場の数(こなした締め切りの数)は人一倍多いわけです。だから、34歳になったときには、雑誌の世界の経験量(特に取材して書くという意味での経験量)は誰にもひけをとらないレベルに達していたわけです。それがあの歳で、あれだけの大仕事をまかせてもらえた理由だと思っています。結局、人間に何ができるかは、その人がそれまでにこなした仕事の量と質両面の関数値です。大学生時代は、自分が将来いい仕事に食らいついていくための現場探しの時間くらいに心得て、自分の能力のブラッシュアップをもっぱら心がけるべきです。自分の脳の中をよく耕して、肥料をたっぷり鋤(す)き込み、ブレインパワーの基盤力を養っておくということです。

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 こういうアドバイスなら、今の若い連中にしておけるかなと考えたのが、70歳になった今、この場を設けた理由です。

INFORMATION

▼立花隆公式サイト chez. tachibana
https://tachibana.rip

「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ

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