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「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ

『二十歳の君へ』より #2

2021/06/26
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疑わしきに囲まれて

 僕は、週刊誌の仕事を業として長くやってきましたから、そのようなダークサイドに関して、断片的な情報を日常的にたくさん聞き込んでいました。編集会議にはそういう断片的な聞き込み情報がしょっちゅう出てきます。しかし、それを取材して週刊誌の記事にできるところまで持っていけるかといったら、ほとんどが無理です。活字にできるだけの裏付け証言がとれないままに消えていく話が山のようにあるんです。真偽不明の怪しい噂がゴロゴロころがっているというのがマスコミの裏側です。怪しい話を安易に信じすぎてしまう人間はもちろんマスコミ界では落第者です。若い人の間にありがちな軽信家タイプがそれです。僕も若いころはずいぶんいろんなガセネタに動かされたものです。しかしガセネタに何度か騙されてみないと、ウソとホントの見分け方が学習できません。マスコミの中堅幹部以上はみんなそういう騙されたり、あるいはスレスレの経験者ですから、若手のどんなに面白い聞き込み情報にも厳しい真偽性チェック(ウラ取り要求)をかけてきます。大マスコミほど、そういう懐疑的中堅層の厚みがあるから間違いを犯さないで済んでいるのです。

 マスコミの世界とサイエンスの世界に共通して必要とされる精神が、「職業的懐疑の精神」(professional skepticism)です。それがいかにも本当らしく、自分としては信じたい話でも、まずは「本当にそうか」と徹底的に疑ってみて、その信憑性をとことん確かめるまで信じないという精神です。この精神がない人はサイエンスの世界でも、マスコミ界でも落第生になります。ただし、掘れば見つかるかもしれない手がかりをつかんでも、自分で本当に掘ってみる手間を惜しんで、宝を見逃してしまう人は、それはそれで別のタイプの落第生と言えますが。

©文藝春秋

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 さて、僕がいつごろこんなふうに世の中のことがある程度分かったつもりになれたかというと、社会に出て、十年選手になってからです。君たちもたぶん同じでしょう。世の中がある程度分かったつもりになれるのは、これから10年経ってからです。大学を出たあとどういう現場に入っていくにしろ事情は同じだろうと思います。大学で学べることなど、本当にたかが知れています。知識が本当に身についていくのは、すべて社会に出てからです。ある程度大きな組織に入り、見晴らしのいい現場を三つくらい経験して視野を広げ、ある程度部下を持ってチームワークの仕事もこなせるようになるのが、十年選手です。そこまで行ってはじめて、自分に自信がつき、自分が見ているものを正しく見分けられるようになります。それまでは、間違い続きです。自分が見ているものが本当のところ何なのかすら、よく分からない時代が続きます。十年選手になってはじめて、自分が考えていることが正しい方向か否かを自分なりに正しく判断できるようになります。自分は一人前の人間になったという自覚を持てるようになるのです。年齢でおよそ30代前半というところでしょう。そのあたりから、若手呼ばわりされていた人間が中堅と呼ばれるようになるわけです。こういう大づかみな話がパッとできるようになるのが70歳の年輪というものかもしれません。