ウソだらけの経歴
小田嶋の人生は“噓の世界”そのものだった。
昭和32年北海道紋別市で生まれ、小学校教員の両親のもとで育った。高校を卒業後、東京藝術大学を受験するも失敗。フランスに渡りアカデミー・ジュリアン美術専門学校に入学し、パリで絵画やデザインを学ぶ。
帰国した小田嶋はデザイン関係の会社に入社したがすぐに退職している。その後、自ら靴の企画・製造会社を興したもののいずれも失敗した。株に手を出すも一億円以上の損失を出すという、成功者とは程遠い人生だった。
しかし、小田嶋はウソの経歴を周囲に語りだすようになる。
「僕はフランスの国立大を卒業しルノーでデザインの仕事をしていた」
「ジャンポール・ゴルチエの代理人だった」
「サザンオールスターズやイルカ、B'zなどの作詞作曲をゴーストライターとして手がけている」
「上智大学の教授をしている」
もちろん、全てウソだ。
小田嶋は仕事をしている実態がないのに何故か金回りだけはよく、葉山に豪邸を建て、妻には月100万円もの大金を渡して優雅な生活をさせていた。西村の行方がわからないことについては、「FBIの証人保護プログラムを真似て別人になって暮らしていると思います」などとしれっと答えている。
捜査二課の調べに対して、小田嶋は「先物や株で儲けた金がある」と答えていたが、調べても、株で1億円の損失を出しているという事実しか、警視庁は摑めなかった。
過去にも同様の事件を起こしていた
さらに重要な事項が二課の資料には記されていた。小田嶋は過去にも万世橋署で取調べを受けていたのだ。
1990年、金融会社「新誠商事」社長の荒居修が、架空の株式上場話を持ち掛け出資者から4億5000万円を集め失踪するという事件があった。荒居はサントリー株が上場するというインサイダー情報を騙り、都内の会社社長から金を集めたという。
荒居は内縁の妻に封書を託していた。中には「自分に何かあったら小田嶋に聞いてほしい」と書いてあった。まさに、西村のケースとまったく同じ展開だ。
「野郎、同じ手口で金にしたな」
資料を反芻しながら大峯は呟いた。
だが、いま逮捕状が出ているのは、偽装誘拐や逃亡にあたり偽名を使っていたという「有印私文書偽造及び同行使」の罪についてだ。私文書偽造は微罪でしかない。勾留期間も10日あるかないかだろう。口から出まかせを言い、のらりくらりと話す小田嶋を「強盗殺人」で落とすには、時間が足りない。
大峯は突破口を模索した。