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2021/06/30

 皇室という特殊な「家」に生まれた眞子さまにとって、それが特に顕著なのは、結婚と結納の分断だろう。くしくも、秋篠宮皇嗣殿下が、昨年のお誕生日の記者会見でおっしゃったとおり、憲法24条は眞子さまにも当てはまる。明治民法に定められた結婚に関する家長の同意権は、戦後に廃された。

 それと同時に、皇族の結婚に天皇の「勅許」を求める旧皇室典範も改められ、女性皇族の結婚に関する「家」の縛りの一切が消えている。だから、眞子さま“個人”の結婚の決意を阻む法制度はない。

(c)共同通信イメージズ

 だが、結納に当たる「納采の儀」は“家”の儀式だ。高円宮家の絢子さまの場合も、相手の守谷家からの使者が宮中を訪れて納采の旨を伝え、供物を進呈されたとき、受け取る絢子さまの背後にぴたりと寄り添うのは母の久子さま。その後ろに今は亡き父・憲仁親王の肖像。

 だからこそ、結婚する/しないは本人同士の問題と繰り返す秋篠宮さまも、納采の儀については、2018年、「現状では行えない」と断言し、する/しないの決定権が家長の己にあると明かす。

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「家」と「個人」の衝突による爆風に晒される眞子さま

 私たちは、今、「家」と「個人」の狭間を生きている。法律上、個人の意思として選び取れるはずの“結婚”。しかし、「長男の嫁が舅姑を介護する」という「家」の温度感は世俗の風習として、今でも色濃く残る。

 そしてこの「家」と「個人」が衝突したその真下で、強烈な爆風に晒されたのが眞子さまなのだ。そう思うと、うら若い女性に背負わせた重荷に胸が痛む。

 アメリカというドライな個人主義国に暮らす恋人とスカイプで会話した内親王は、日本のワイドショーのウェットな報道との落差に、日々、おひとりで懊悩されているのではないか。

 とはいえ、個人のフラットな社会というのは幻想にすぎない。身分制度がなくなったはずの先進国に新たに立ち現れる“クラス”。