森喜朗氏の会見は何が「ズレていた」のか?
2月3日に行われた日本オリンピック委員会の臨時評議員会で森氏が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言。この発言が女性蔑視にあたるということで批判が高まった結果、翌日に謝罪会見が行われました。
しかし、会見で記者が「オリンピック精神に反するという話もされたが、そういう方が組織委員会の会長であるのは適任なのか」と質問を投げかけると、「あなたはどう思いますか」と森氏がキレ気味に逆質問をする場面がありました。これでは森氏がいくら女性蔑視発言について「反省している」と述べても、本心では全く反省していないと思われても仕方ありません。
謝罪会見では、何が問題視され、何を謝罪すべきなのか、その認識を示すことが基本中の基本です。当時森会長が問題視されたのは女性蔑視はいけないという『認識』を持っているかであって、どう『表現』したかではありませんでした。それにもかかわらず、冒頭で『五輪精神に反する不適切な表現であった』と『表現』について謝罪したのはズレていたと言わざるを得ません。
その結果、会見を開いたにも拘わらず、森氏への批判はむしろ拡大し、森氏は結果的に組織委員会の会長の退任を余儀なくされました。
国民の疑念は「400万円の借金問題」と「小室さんのお人柄」
小室さんは、謝罪ではなく説明が必要な立場だと思いますが、もし世間が疑うような不誠実な人間ではないのだとすれば、この森氏と同じケースに陥ることは絶対に避けなければなりません。逆に、小室さんが世間が疑うような不誠実な人間であるなら、そのことがやはり明らかになるべきです。
では、もし会見を開くとして具体的に小室さんはどんな問題を解決しなければならないか、についてです。小室さんの場合、多くの国民が彼に対して“疑念”を抱いている、その根幹にあるのは「お母様の400万円の借金問題」と、それを発端とする「小室さんのお人柄への不信」という2点に集約されるのではないかと思います。この状況において、秋篠宮殿下が言うような「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を作り出すためには、私は何より「感情的回復」が必要になると考えています。
「感情的回復」は、「論理的回復」という言葉と対になる概念です。小室さんのケースを例にとると、小室さんが論理的回復を果たすというのは、小室さんが主張していた400万円は贈与である、ということが論理的に間違っていないことが伝わることにほかなりません。この借金問題については、先日の文書で小室さんは「論理的に問題がない」と反論されていました。しかし、その文書に説得力があるかどうかは、小室さんの状況を改善する上であまり重要ではありません。