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もはや「生存できず」…半世紀にわたって暴力団を見続けた男が語る“すべてのヤクザ”に突き付けられた“厳しい現実”

『喰うか喰われるか 私の山口組体験』より #2

2021/07/08
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解は「もはや生存できず」なのか

 翌2017年4月、織田が神戸山口組を出て新組織を立ち上げるという噂が流れた。

 織田は井上の股肱の臣だったはずではないのか。よせばいいのに、と私は思いながら、織田の携帯を鳴らした。織田はすぐ出て、噂は間違いじゃないですと答えた。彼とインタビューの約束を取りつけた。

 4月30日、織田は神戸山口組を離れて「任侠団体山口組」(その後「任侠山口組」と改称し、現在は「絆會」と名乗る)を新結成し、その代表に就いた。

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 兵庫県尼崎市で幹部や直参たちが結成式を開いている最中、織田は他のメディアとは異なる特別待遇を私に許した。私は新大阪駅近くのホテルの一室で織田と向かい合い、なぜ新組織結成に踏み出したのか、単独インタビューした。私は織田の言葉に得心がいき、大義名分は神戸山口組から任侠山口組に移ったと感じた。織田からすれば神戸山口組もいまや六代目山口組と同様、旧態依然とした遺構でしかないのだ。

 結局は井上邦雄の言動が改まらなかった。六代目山口組の弘道会方式を批判して立ち上がった神戸山口組だったが、六代目山口組の旧弊である、

(1)金銭の吸い上げ
(2)当代の出身団体の贔屓 
(3)当代が配下の寄せる進言・諫言をいっさい聞かない

 をそっくりそのまま、井上は神戸山口組で繰り返した。

 井上邦雄が大将の器でないことはたしかだが、それでも膝下にしっかり織田絆誠を抱えていれば、神戸山口組に将来は開かれていたはずだ。織田の離脱は井上にとって取り返しのつかない失敗だった。これにより神戸山口組はスピード感を失った。

 井上は理想や目的を組員の前に掲げられず、いまや山健組を託した中田広志にも背かれ、「一人になっても神戸山口組は解散しない」と息巻いているという。すでに終末は読めよう。

 神戸山口組を離れ、現在の絆會を立ち上げた織田絆誠にとっても、将来は微笑んでくれてはいない。彼が掲げた命題、「少しでも社会の役に立ち、社会に認められるヤクザ像」はいまだ解明されない難問であり続けている。

©iStock.com

 ヤクザは何で飯を食ったらいいのか、警察はヤクザが営む正業さえ、暴力団の資金源になるとして阻止している。覚醒剤や恐喝、賭博などヤクザの伝統的資金源はことごとく禁止され、ヤクザは組を離脱しても5年間はヤクザ並みに扱われ、新規に銀行口座をつくることさえ許されない。

 こうしたなかで、どうして男を売るヤクザになれるのか。警察から「反社会的勢力」といわれないための方法として、ヤクザをやめる以外にどんなやり方があるのか。

 織田は任侠団体山口組を結成して以来、一度として方針を曲げたことがない。「君子に二言なし」を地で実践している。その点は「大衆的組織」の指導者として尊敬に値するが、しかし、掲げた命題の解が自己否定を余儀なくするほど難しい。出口のない迷路に陥る。

 織田は山口組の歴史のなかではじめて大目標を掲げたリーダーだが、それでもヤクザの今後の生き残り策を見出せずにいる。もはや「生存できず」が山口組に限らず、全ヤクザに突きつけられた解かもしれない。

【前編を読む】山口組からの「要求」を断った作家を襲った“惨劇” 腎臓すれすれ“ドス襲撃事件”の一部始終

喰うか喰われるか 私の山口組体験

溝口敦

講談社

2021年5月17日 発売

もはや「生存できず」…半世紀にわたって暴力団を見続けた男が語る“すべてのヤクザ”に突き付けられた“厳しい現実”

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