コロナ禍の医療現場、家族に看取られない死、そして医療従事者たちの壮絶な葛藤を描いた小説である。フィクションとはいえ、「感染者数」という客観的数字にしか晒されてこなかった人間には想像することさえかなわないコロナ感染の現実が綴られている。しかも、感染者数が過去最多を更新し続けていた二〇二一年一月を彷彿とさせる危機的状況が詳述される。それもそのはず、著者は地域医療に携わる現役医師であり、本書の第一話が書かれたのは第三波がピークの一月終盤だという。
語り手の敷島寛治は信濃山病院で医師として勤務しながら、医療資源の乏しい地域でコロナ診療を続けていく厳しさを痛感している。彼も他の医師たちも、そして陣頭指揮を取る三笠も、感染症専門医ではない。日々、手探りで治療にあたっている。「院内を顧みれば、コロナにかかわる医師も看護師もまともな休息が取れていない」。敷島自身、濃厚接触者と会話していたことが分かり、家族への感染を防ぐため車内で夜を明かすこともあった。院内では「〔iPadの〕端末に向かって叫ぶ医師の大きな声」がしたり、「PHSが鳴り響」いたり、看護師の「抗議の声」が聞こえてきたりする。不条理なことに、医師や看護師が心身ともに疲弊していても「この小さな病院」がコロナ患者を受け入れる方針であるというだけで、大量の患者が押し寄せてくる。敷島は「いつまで持ちこたえられるか」と自分自身に問いかけながらも、死にゆく患者やその家族でさえ見捨てることはしない。
コロナ診療という「未知の領域」に果敢にも挑んでいく信濃山病院の医療チームは、戦場の「砦」に喩えられている。医師にとって敵は当然ウイルスなのだが、それよりも数段手ごわいものとして描かれるのは、クラスター化する人間の「負の感情」である。世間では、感染者に向けられる誹謗中傷がそうだ。肺だけでなく「心も壊す」コロナの恐ろしさは、まさに本書の通奏低音であろう。心が病めば、「いたずらに暴言を吐いて、他人を傷つけ」てしまう。また、必ずしも一枚岩ではない医師たちがけん制し合い、その猜疑心が生みだすような「負の感情」もある。経済を守り、医療現場に犠牲を強いる行政を、過激な言葉で揶揄する医師もいるが、敷島は寡黙で穏やかでいることを貫く。正解がなんなのかわからないながらも、「負の感情」に支配されることなく、「もっとも多くの命が救える道」を模索することが最善と考えるからだ。
読者は、敷島の語りをとおして、彼の愛読書マルクス・アウレリウスの『自省録』に記された「清廉と温和」を言祝ぐ境地に辿り着く。ワクチン接種が開始され日常が取り戻されつつあるように見える今、世間から孤絶した病院の内部に響きわたる喧騒や医療従事者たちの声が行政に届くことを願わずにはいられない。
なつかわそうすけ/1978年、大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県にて地域医療に従事。2009年『神様のカルテ』で小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。同書は10年の本屋大賞第2位となり、11年に映画化。他の著書に『始まりの木』など。
おがわきみよ/1972年、和歌山県生まれ。上智大学外国語学部英語学科教授。専門はイギリスを中心とする近代小説。