英語力ゼロで単身渡米。そこから10年かけて憧れの“水中考古学者”になった山舩晃太郎氏は、世界の海でフィールドワークを行い続けている。

 ここでは、同氏がこれまでに発見してきた水中遺跡に関するエピソードをまとめた著書『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』(新潮社)の一部を抜粋。指先さえ見えない視界不良のドブ川で沈没船を掘り出した際の一部始終を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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未発掘の船が川底に

 2011年の初夏、大学院修士課程の2年目を終えたばかりだった私は、イタリア北西部、ベネチア近郊にあるマルコ・ポーロ国際空港に到着した。空港までチームメンバーに迎えに来てもらい、車で東側に1時間弱のところにある、中世の街並みが美しいパラツォーロ・デッロ・ステラという小さな町へ向かった。

 この沈没船発掘プロジェクトはイタリアのウディネ大学と、私が所属するアメリカのテキサスA&M大学の共同で行われた。

 我々の目的はパラツォーロ・デッロ・ステラの町を流れるステラ川に沈む沈没船を発掘研究することだった。「ステラ1(ウノ)」と名付けられたこの船は1981年に発見され、1998年と1999年に調査が行われていた。しかし、この時は積み荷の引き上げと研究だけで、船そのものはほぼ未発掘のまま残された。調査の結果、この船が西暦1~25年頃に沈んだ船ということは分かっていた。つまりおよそ2000年前に沈んだ船ということになる。2000年前! 想像もつかない。

 イタリア側のリーダーであるカプリ教授は普段、イタリア北西部の古代ローマ時代の陸上の遺跡や水中に沈んだ橋などを研究対象としている。

 今回は「船」というカプリ教授にとっては専門外の研究対象だったので、カストロ教授に声をかけ、共同で水中発掘を行うことになったのだ。

薄い味噌汁のような川

 イタリアに到着して2日目と3日目は水中発掘作業の準備と、1カ月間の共同生活に必要な日常品や食料などの買い出しとなり、ようやく水に潜ることができたのは4日目だった。

 まず、午前中はこれから行う水中での発掘の基本的な作業内容の確認をし、午後、私達の滞在しているアパートから車で20分ほどかけ、ステラ川に向かう。ステラ1沈没船の発掘現場は、波止場から上流にわずか200mほどしか離れていない距離にあった。初めて水中遺跡に潜れるという現実を目の前にして、心臓の鼓動が早くなる。

 しかし、現場を見て、私はすっかりビビってしまった。

「汚ねえ……。そして臭いな」

 川の表面に茶色の泡が浮かび、それが割れることなくモコモコと形を保ったまま、下流に流れていく。川の透明度は50cmほどだろう。腕をピーンとまっすぐ伸ばしたら指先は見えない透明度だ。まるで「薄い味噌汁」である。どうもパラツォーロ・デッロ・ステラ郊外に広がる畑から、泥水が流れ込んでいるようだ。おそらく家畜の糞が原料の肥料も含まれているのだろう。それで臭うのだ。川幅は広いところで20m程である。流れは緩やかだが、本当に汚い。実際、プロジェクトが終盤に差し掛かる頃には、なんとチームの半数である4人が感染症で耳をやられてしまった。

 発掘調査中、ネズミかモグラと思われる大きな死体が、水面をドンブラコドンブラコと運ばれていくのも何度か見た。

「本当にこんな場所で潜るのか?」

 繰り返しになるが水中考古学プロジェクトは、水が綺麗だから行われるわけではない。「そこに水中遺跡があるから」私達は潜るのだ。今でこそ、汚い場所で潜ることもへっちゃらになったが、水中考古学を学び始めて間もない当時の私にとっては、この川に入ることは、かなり勇気がいることだった。