2020年に開催予定だった東京五輪に向け拡大の一途をたどっていた観光業界は、新型コロナウイルスの影響で、これまでにないような需要の喪失に見舞われた。
50歳で派遣添乗員デビューした梅村達氏は著書『旅行業界グラグラ日誌』(朝日新聞出版)の中で、苦境にあえぐ業界のリアルについて触れている。ここでは同書の一部を抜粋し、添乗員としての思いを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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わが世の春を謳歌していたが...
令和元(2019)年までの旅行業界およびその関連業界は、順風満帆という言葉そのままのイケイケ状態であった。
海外から日本を訪れる観光客数は、直近の数年にわたって右肩上がりを続けていた。その状況を見こんで土産物業者が施設を拡充したり、ホテルが続々とオープンしたりと、業界は拡大の一途をたどっていた。
京都などの有名観光地においては、外国人ツーリストたちでひしめき合う状況が、ごく普通の光景となっていた。
私も添乗業務で、京都の清水寺をしばしば訪れる。いつ行っても外国人だらけというのが、近年の清水寺事情である。
京都はまた修学旅行の、定番中の定番コースでもある。外国人たちに加えて、修学旅行の大集団に遭遇しようものなら、添乗員は大変なことになってしまう。
団体ツアーで清水寺へ行くには、観光バスの駐車場から寺へと続く参道を、5分ほど歩かなければならない。その両軍団で大にぎわいの参道ともなると、心理的に5分が遥かなる道のりとなってしまうのだ。
満員電車なみの人ごみの中を、40人もの集団を引き連れて歩く様子を、想像していただきたい。参加者の中から迷子が出ることも、珍しいことではない。
そんなことになったら、添乗員は冷や汗ものだ。周囲はおびただしい人だらけで、騒音に取り囲まれて、迷子からかかってきたケータイの声も、ろくろく聞き取ることもできない。迷子を見つけるまで、イヤな汗が流れ続ける。
それは何も清水寺に限ったことではない。名にしおう観光地ともなれば、多かれ少なかれそのような添乗員泣かせのことが、繰り広げられている。観光大国となりつつあるニッポンの、狂騒曲の一コマなのである。
業界のイケイケ気分は、令和2年の東京オリンピック開催決定で、いやが上にも盛り上がる一方であった。
ところが新型コロナウイルスの世界的な感染大流行(パンデミック)によって、状況は一変してしまう。わが世の春を謳歌していた業界は、急にハシゴをはずされて、転落の一途を余儀なくされてしまった。