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 付近の住民に尋ねてみるが、この家の来歴も知らず、刻の壁に阻まれる。

 年配の男性が家から出て来た。

 話しかけてみる。

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「ああ、あそこは産婦人科医の家があったんです。要するに縁の下に昔の胎児がホルマリン漬けのままあった。もう80年前のことですよ。産婦人科医が標本として保管していたのか。この辺に病院があって、(太平洋)戦争がはじまって、病院を辞めてなぜか自宅に(ホルマリン漬けの瓶を)持ち帰ったんでしょうね。だれも知らないまま80年以上過ぎちゃった。それがたまたま見つかったというだけの話ですよ。評判? ここの産婦人科医にとりあげてもらった人も何人もいますからね。女医さんです」

 私が「静かでいいところですね」と継ぎ足すと、「あのときは大変だったけど」と品のいい年配の男性は苦笑いした。

忘却したホルマリン漬けの経緯

 ホルマリン漬け嬰児に事件性はなさそうだ。瓶詰の嬰児は死産したものだろう。床下から発見された瓶の形状、古さ等々から、昭和初期のものとされる。ということは、産婦人科医もあまりにも永すぎる刻の流れに、瓶詰を忘却したのだろう。

 だが疑念も残る。

 中絶、死産の嬰児は廃棄されるはずだ。

 研究材料のためにホルマリン漬けして自宅に持ち帰り、保管していたものの忘れてしまったのか。

©iStock.com

 早川副編集長がこんな推理をする。

「寿産院もらい子殺し事件ってあったじゃないですか。終戦直後、寿産院が安いカネで赤ちゃんを預かるというので、経済的な問題で育てられない母親たちがここに預けたんですけど、寿産院は食事も満足に与えず、103人も死なせてしまった事件です。あの当時は、子どもが産まれると配給をもらえるので、それ目当てに子どもを預かって、あとは邪魔になって始末しちゃうひどい親や引受人がいたんですよね。なんかそれ思い出しますね」

 白山のホルマリン漬け嬰児も、望まれた命というよりも、頭数を増やそうとしたものの死産したのか、近親相姦や強姦で望まぬ妊娠をしてしまい、表に出すことがはばかられる母親の事情があったのだろうか。