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「おまわりさん、大変です」「娘を追いかけて、家の中へ無理やり入ろうとした。家へ来てほしい」

 事件から25年後の1975年7月9日から、朝日(西部)はとびとびに「補」も含めた4回続きで「証言 黒人兵集団脱走」を連載した。そこには多くの証言が出てくる。

 当時は一面の水田で私の家(基地の西約200メートル)から金網越しに基地の中まで見通せた。逃げ出してきた兵隊たちは、まるで黒いサルの集団が走り抜けるように見えた(牧場経営)

 家の横で田植えをしていると、銃を持った黒人兵が10人ほど、あぜ道を走り去った。演習かと思った(主婦)

 私の勤務する三萩野派出所は現在の片野1丁目、Gパンセンター付近にあった。夕方、自転車で警らに出、片野新町に差しかかると、「おまわりさん、大変です」と、50年配の着物姿の婦人が髪を乱して立ちはだかった。「2人連れの黒人兵が娘を追いかけて、家の中へ無理やり入ろうとした。家へ来てほしい」と訴える。婦人の話によると、裏口から娘さんが「お母さん」と駆け込んできたので飛び出すと、2人の黒人兵が戸をこじ開けようとしている。黒人兵は「ママさん、ママさん」と手招きした。娘はまだ10代。「ベイビー、ベイビー」と必死に訴え、戸を挟んで押し合ったが、やがて、あきらめたのか、立ち去ったという。現場へ行くと、厳重に鍵をかけた家の中で、オカッパ頭の娘が1人で震えていた。付近の道路には、キャンプ城野の方角から暗緑色の野戦カッパを着た黒人兵が2、3人ずつ、ぞろぞろ歩いてくる。一体何が起こったのか。夢中で派出所に引き返すと、本署に知らせた。これが第一報になった(小倉市警巡査)

窓越しにピストルを…

 同記事によれば、兵隊たちが所属するアメリカ陸軍第25師団第24連隊は兵員約2400人。この日午後、岐阜県・各務ヶ原基地から列車で到着したばかりだったという。証言は続く。

 第一報が入った直後、小倉玉屋(デパート)の前にあったMP(アメリカ陸軍憲兵)司令部に駆け付けた。その夜の当直責任者だったマグリアノ曹長らとジープ2、3台で司令部を出た。いまのスーパーダイエ―の前に3、4人連れの黒人兵がいた。野戦服でピストルをつけ、手投げ弾の袋を腰にぶらぶらさせている兵隊もいた。マグリアノ曹長は「外出するのに武装はいかん」と、ピストルの弾倉を抜かせ、そのまま放した。切迫した事態とは誰も思わなかった。北方線沿いに行くと、酒屋の前でおじいさんが「あそこに行きよる連中から赤玉ポートワインを取られた」と訴えた。追いついたら8人いた。ホールドアップ。身体捜検。武器を取り上げたら、シャツの胸から赤玉が1本出てきた。曹長がいきなり殴りつけたのに驚いた。基地に連れ戻したら、白人の中隊長が「自分の責任で処罰する」と言うなり、8人の認識票をむしり取った。もう真っ暗になっていた(小倉市警警備課渉外係巡査)

(午後)9時ごろだったと思う。寄宿舎内の自室で本を読んでいたら、窓越しにピストルを突きつけられた。3人で、1人は白人みたいだった。血相が変っている。両手をあげた。そうしないと引き金を引きそうに思えた。女を出せ、と言っているらしい。「ここは学校だ。困る」と思いつく限りの英語で言った。そこへ舎生の女の子が3人飛び込んできた。ほかにも兵隊たちが入り込み、校内をうろうろするので怖くなったらしい。まずい、と思わず立ち上がった。が、幸い、兵隊たちは学校だと分かったらしい。立ち去りかけた。しかし、また戻ってきて、女がどこにいるかと聞くので、街の方向を教えた。敷地内に50戸ほど、旧(日本)軍の補給廠時代の従業員社宅が残っていた。黒人兵たちはその中に入り込んだらしく、女の悲鳴が聞こえた。女の舎生たちを風呂桶の中に座らせ、ふたをして、風呂場の入り口で男の先生たちが寝ずの番をした。深夜、基地の西方で銃声がし、弾道が赤い線になって飛ぶのが見えた(聾学校舎監)

「戦争だ」と憲兵隊長は言った

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 当時、日本の警察は「連合国軍人に対しては、連合国軍が駐屯していない場合、つまりMPがその地方にいない例外的場合を除いては逮捕できなかった。軍人が犯罪を犯しているのを目撃しても、警察はただMPに通報するだけで、(ほかに)なすすべはなかった」(「福岡県警察史 昭和前編」)。常備の拳銃も少なく、ほとんどの警察官はMPに同行して現場を踏んでいる。朝日紙上の証言はさらに続く。

 基地西側で撃たれたので、ジープでMP司令部に小型の機関銃を取りに行った。憲兵隊長のロバーツ大尉が「君を補助憲兵にする。相手が銃器に手をかけたら射殺してよい。責任は自分が負う」と私にも銃を渡した。万一の場合を考え、署に寄って、私服だったのを制服に着替えた。城野近くで3人を捕まえた。(7月12日)午前0時前、三郎丸から城野にかけ、ジープがずらっと並び、全車が前面ライトをつけた。白人兵が鎮圧に動員されていた。その奥の林に脱走兵の集団がいた。ロバーツ大尉が「戦争だ」と言った。ジープ備え付けの20ミリ機関砲で派手に威嚇射撃をした。やがて25師団の師団長代理らが説得のため、暗闇の中へ歩いて行った。そこにいた脱走兵たちは自分で帰隊したようだ(小倉市警警備課渉外係)