朝鮮戦争の最前線へ…
「福岡県警察史 昭和前編」も「小倉市民を恐怖にたたき込んだこの黒人兵部隊、第25師団第24連隊(3個大隊で編成)が朝鮮戦線最前線へ投入されたのは数日後であった」と書く。
朝鮮戦争が始まったのはこの事件から約半月前の1950年6月25日。アメリカ軍は国連軍として介入したが、韓国軍の壊滅もあって押し込まれ、事件直後の7月17日には韓国中西部の大都市・大田も陥落の危機に陥った。朝鮮半島に近い北九州地区には戦争の「影」が迫っていた。
「脱走兵たちは明日にも朝鮮に駆り出されるという緊張から、気分を紛らわしたかったのだろう」
6月29日午後10時50分、小倉、戸畑、八幡、門司(いずれも現北九州市)、神戸の5都市に突然警戒警報が発令され、灯火管制が実施された。「国籍不明機が飛来したため」とアメリカ軍は発表した。小倉には「朝鮮戦線に補充される黒人兵が到着した」と「北九州市史 近代・現代・行政・社会」は書く。朝日(西部)の連載記事(1975年7月16日付)にも、次のような証言が載っている。
脱走兵たちは明日にも朝鮮に駆り出されるという緊張から、気分を紛らわしたかったのだろう。外出が許可されないため、ぞろぞろ出てしまったという感じを受けた(MP司令部通訳官)
キャンプ城野の中で兵隊たちとよく話をしたが、最前線の“弾除け”にやられるのが黒人兵だと言っていた(基地従業員)
危険な弾薬管理は全て黒人兵の仕事だった。彼らはその不満や、朝鮮での戦況悪化で捨てばちになっていた(小倉市警警備課渉外係)
一体、何人が脱走したのかもはっきりしない。200人とも250人ともいわれるが、確証はない。朝日の証言記事でも「300人」から「20数人」まで諸説ある。「福岡県警察史 昭和前編」は人数を記載せず、1963年刊行の「小倉六十三年小史」の座談会で小倉市総務部長(当時)は、根拠は分からないが「160人ほど」と発言。「北九州市史 近代・現代・行政・社会」もそれを踏襲している。
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生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。
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