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 この時代、ベルサイユ宮殿には、王様や貴族、その召使いなど約4000人が住んでいたと推定されているが、腰かけ式便器は274個しかなくあまりにも数が不足していた。このため、豪華絢爛な舞踏会のときには、清潔好きな人は携帯用便器(おまる)を持参した。便器にたまった汚物は、召使いたちが庭に捨てていた。宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたのに加え、近くに便器のない人は廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足した。その結果、美しいことで有名な庭園も、糞便であふれ、ものすごい臭いが漂っていたらしい。

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 この様子に宮殿の庭師が怒り、庭園に「立ち入り禁止」の札を立てた。はじめは無視されていたが、ルイ14世が立て札を守るよう命令を出してから守られるようになった。

 実はエチケットはフランス語で「立て札」の意味なのだ。このエピソードからエチケットが現在のように「礼儀作法」を示すようになったといわれている。

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コレラ流行は何が原因なのか?

 コレラは、感染者の便で汚染された水や食物を口から摂ることによって感染する病気である。その原因菌のコレラ菌は1883年にロベルト・コッホ(1843~1910)によって発見された。コレラ菌は、その毒素により激しい下痢や嘔吐を起こす。適切な治療をすれば死亡率は11パーセントと低いが、そのまま治療しないと死亡率は50パーセントにもなり、重症の場合は、症状が現れて数時間後に死ぬこともある。

 コレラ菌などの病原菌が発見される以前、コレラに限らず病気は悪い空気(瘴気、ミアズマ)を吸うことで起こると考えられていた。ミアズマはギリシア語で「不純物」「汚染」「穢れ」の意味である。

 コレラは何度も大流行を起こし、多数の人々を死に至らしめた。世界的流行としては、第一次:1817~1823年、第二次:1826~1837年、第三次:1840~1860年、第四次:1863~1879年、第五次:1881~1896年、第六次:1899~1923年、第七次:1961~継続中の7回を数える。