火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。歴史を見ると化学がいかに我々の生活を大きく動かしてきたのかがよくわかる。
苦手意識を持つ方が多いであろう化学も、歴史とともに紐解いていけば、実はそんなに難しく感じないのかもしれない。そんな化学を知る上での手助けをしてくれるのが東大講師・左巻健男氏による『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』(ダイヤモンド社)である。同書から一部抜粋し、覚醒剤や大麻の歴史を紹介する。(全2回の2回目/#1を読む)
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中毒者を増やしたヒロポン
覚醒剤とは覚醒剤取締法第二条で指定された薬物の総称だ。日本で濫用されているのはほとんどがメタンフェタミンで、自然界には存在せず、化学的に合成された物質である。
現在、日本の覚醒剤はほとんどすべて国外で製造され密輸入されたものである。売人、常用者はシャブ、エス、スピード、アイス、やせ薬などと呼ぶ。
メタンフェタミンは、1893年に薬学界の長老だった長井長義博士(1845~1929)が、漢薬「麻黄」からぜんそくや咳の薬として使われるエフェドリンを単離したとき、その誘導体の一つとしてつくられた。
1941年にメタンフェタミンはヒロポンという商品名で、売り出された。体力をつけ、倦怠感や眠気を除去し、作業の能率を増進させるという効果をうたった。「ヒロポン」の語源は俗に「疲労(ひろう)をポンと飛ばす」といわれているが、実際はギリシア語“フィロポヌス”(労働を愛する)が正しい語源である。人を覚醒させる、シャキッとさせる薬という意味で、「覚醒剤」という名前がつけられた。
強烈な快感、多幸感や高揚した気分を味わえ、3時間から12時間程度にわたって覚醒状態が持続し、そのあいだは眠ることも物を食べることもしなくなる。ただし、本当は体が食事や休息を欲しているのに、ドラッグの力で錯覚しているだけだ。そのために、効果が切れた後は激しい抑うつ、疲労・倦怠感、焦燥感に襲われる。
日本で覚醒剤のリスクが認識されたのは1947年に入ってからだった。その後、1950年に薬事法で劇薬に指定、さらに翌年1951年に「覚醒剤取締法」が施行されたが、時すでに遅く、すでに覚醒剤はきわめて深刻に蔓延していた。
覚醒剤の悲惨さは、精神的依存性のすさまじさにある。効果が切れると一転して不安と狼狽に襲われる。再びハイな気分を求めて連用することになり、幻覚や妄想などの精神病症状が出現。また、攻撃的、暴力的傾向になりやすく、依存性が強く、長期の後遺症を残しやすくなる。