覚醒剤濫用者の死因としては、急性中毒死が多い。心臓血管系の障害が推定されるほか、事故による外傷死、自殺などが多いようだ。覚醒剤をやめてから5年、10年という月日が過ぎてからでも、突然幻覚や幻聴が現れたりする(フラッシュバック)。この依存症やフラッシュバックを消し去る薬はいまのところない。
メタンフェタミンは、水に溶けやすく白色、無臭の結晶だ。従来は静脈注射をしたが、最近は、注射の暗いイメージがなく手軽で注射痕が残らないことから、加熱吸引法(吸煙、あぶり)や錠剤、液剤の濫用が流行している。
陶然として殺されたスペイン兵捕虜
1519年11月、およそ300人の部下を率いたスペイン軍の指揮者エルナン・コルテスは、アステカ帝国の首都ティノチテトランに侵入した。
このときの様子を従軍僧が詳しく記録していた。アステカ軍に捕らえられたスペイン軍捕虜の様子を引用しておこう。
軍神ウィツィロポチトリ(Huitzilopochtli)をたたえる太鼓や笛、ラッパ、ホラ貝など、ありとあらゆる無気味な音があたりに鳴り響いた。その音響は、大ピラミッドの頂上からで、そこには、全裸のスペイン軍捕虜が、悪魔の神像の前に引きすえられ、あるものは、頭に羽毛を飾られ、扇を手にして奇妙な踊りをさせられていた。しかし、彼らは陶然として、夢うつつのように朦朧として踊り続けるのである。踊りがすむと、石の犠牲台の上に仰向けにねかされ、石ナイフで胸が引裂かれる。ぴくぴくと脈打つ心臓がつかみ出されると、香煙けむる石壇の上に供えられた。血まみれの死体は、足げにされ、百数十段もの階段から転げ落ちた。それを待ちかまえていたインディオたちはかけより、あたかも、屠殺される牛馬のように、腕や足を切断し、顔の皮をはぎ、生首を切り落した。(『現代のエスプリ 麻薬』七五号、至文堂)
この従軍僧は、生贄が幸福そうに、陶然として死んでいく姿に驚き、その理由として、悪魔の植物「テオナナカトル」(神の肉)と「ペヨーテ」の服用であると記している。