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伝染病が上下水道を発達させた

 中世末期まで、家庭の汚物は、道路の上または道路の中央の溝に流した。しかし、何度もペストやコレラの伝染病が流行し、その度に多数の人命が犠牲になった。

 そこで、16世紀になってようやく、市民生活の衛生を保つことが重要視されるようになり、少しずつではあるが、小規模の上水道の工事が行われるようになった。1582年、ロンドン橋に水車で動くポンプを据えて配水したが、テムズ川は激しい船運のために汚濁しがちだった。

 19世紀になると、蒸気ポンプ・排水用の鋳鉄管および浄水装置(砂による人工的ろ過)が発明され、水を処理してきれいにし、ポンプによって送水をする大規模な近代水道の条件が整ってきた。

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 ヨーロッパ最初の公共給水は、1830年、産業革命の先進国イギリスのロンドンで実施された。また、1831年のコレラ流行は、ロンドンの地下下水道を発達させた。しかし、せっかく下水道ができてもただ河川に放流するだけだった。そのため河川はますます汚れて、工業用水としても使用不能なものになりつつあった。1861~1875年にはテムズ川の両岸に川と平行の水路をつくって流したが、それでも下流の汚染は防げなかった。

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 また、1848年のドイツのハンブルクに次いで、19世紀後半からは、ドイツやフランスの都市でも下水道がつくられるようになった。下水を噴水のようにして「ろ過材」をまき、その表面にできる細菌の膜で汚物を分解する方法、あるいは、現在の下水処理場で行われている「活性汚泥法」(好気性微生物をふくんだ汚泥で有機物・無機物を分解する汚水処理の方法)が考案・改良されていった。

 なお、日本では、江戸時代に水道の建設が始まっている。江戸市民の生活用水を、小石川上水(1590年、のちの神田上水)、玉川上水(1654年)などから給水。水源からの傾斜を利用する「自然流下方式」と呼ばれる設備が建設された。