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「立ち食いのうどんなんだから、店で食えばいいのにね」

「『仁義なき戦い』の撮影で、広島ロケに行ったんです。俳優たちがまとまって、京都から山陽新幹線に乗り、広島へ行くんですけど、途中、岡山のあたりで、付き人の司裕介が『辰兄、ちょっと困っています。助けてください』と言ってきた」

 梅宮が「どうしたんだ」と尋ねると、司は「また、オヤジが始めたんです」と答えた。文太が「車掌と揉めている」という。

「僕が『無賃乗車でも疑われたのか』と聞くと、『持ち込みです』と。よく司の話を聞いてみたら、文ちゃんが岡山駅のホームで立ち食いうどんを買って、そのうどんを食堂車に行って食べようとしたら、車掌に注意されたんだと」

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©iStock.com

 梅宮はすぐ司とともに、食堂車へ向かった。そこで文太は車掌に向かって「誰が決めたんじゃあ!」と怒鳴り散らしていた。

「文ちゃんは、外から持ち込んだものを食堂車で食べてはいけない、というルールを誰が決めたのか、と怒っていたんです。立ち食いのうどんなんだから、店で食えばいいのにね。言い出したらきかない。頑固でねえ。あの人らしかったな」

 梅宮は、文太は融通がきかない性格だった、と言う。司は私の取材を受けたときに「オヤジは手のかからない人だった」と話したが、実際は手を焼くことが度々あったのだ。

「3人でご飯を食べるでしょ。会話がないんですよ。シーンとして」

 司裕介は京都撮影所の大部屋俳優で、殺陣の技術集団「剣会」のメンバーである。文太に付いたのは、72年の『木枯し紋次郎』からだった。

「会社から『文太さんの面倒を見てやってくれ』と頼まれたんです」

 文太に挨拶をして3日後、まだお互いに気心も知れていなかったが、司は三宅島の宿泊ロケに同行することになった。付き人としての初仕事である。

「監督も含めて、スタッフは皆さんペンションに泊まっていたんですが、主役のオヤジと共演の江波杏子さんは旅館です。あれは嫌でしたねぇ。本当に」

 何が嫌だったのか尋ねると、「食事のとき」だと言う。

「身の回りの世話が必要なので、僕も旅館に泊まっていたんですが、朝と夕、オヤジと江波さんと僕の3人でご飯を食べるでしょ。会話がないんですよ。シーンとして」

 文太は喋らない、江波も全然喋らない、司は何を話していいか分からない。聞こえるのは漬け物を噛む音ばかり。そんな状態が10日間も続いた。

「もの凄く長く感じましたね。スタッフのペンションは撮影が終わると、楽しそうにどんちゃん騒ぎをしているのに、こちらは、宿の女将さんまで気を遣って、ヒソヒソと声をひそめて話すような状態で。1日でもいいから、あっちに移りたかった」

 三宅島では魚料理がよく出たが、文太は刺身が苦手だった。特に青魚が駄目だったという。

「マグロはまず食べなかった。寿司もあまり食べないし、ただ、焼いたサンマは好きでした。小さいときに、何かあったんでしょうかね。息子の加織も同じで、刺身が苦手でした」