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『仁義なき戦い 頂上作戦』でも、文太は志賀を含めた「当たり屋」たちになんどか金を支払った。ただし、付き人が「今のはわざと当たりに行っただろ」などとチェックを入れるので、2000円にダンピングしたこともあったという。

 もっとも、この頃の文太に少々の出費は痛くも痒くもなかった。会社の待遇が大物扱いになり、出演料も交渉次第ではさらなるアップが見込めたからである。

嫉妬の対象

 73年に『仁義なき戦い』シリーズは3本製作されているが、文太はその間にも『まむしの兄弟 刑務所暮し四年半』(監督・山下耕作)、『まむしの兄弟 恐喝三億円』(監督・鈴木則文)、『やくざ対Gメン 囮』(監督・工藤栄一)、『山口組三代目』(監督・山下耕作)、『海軍横須賀刑務所』(同)の5本に出演している。もはや高倉健に当たっていたスポットライトを奪ったかたちであり、周囲の見る目も変わってきた。

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 一方では、嫉妬の対象にもなっていた。社内で「文太が生意気になりやがった」「最近、態度が横柄だ」「あいつは変わった」という声も聞かれるようになった。

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 文太と『仁義なき戦い』『仁義なき戦い 頂上作戦』の2本で共演した俳優の三上真一郎は、松竹時代から文太と親しい関係だった。芸歴は長く、笠原和夫が1作目の『仁義なき戦い』で三上が演じた新開宇市を見て「自分が脚本に書かなかった人物背景を見事に演じてくれた」と感心した俳優でもある。

 松竹を解雇されてフリーになった三上はシリーズ4作目『頂上作戦』(74年)の撮影中だった文太を、こう回想している。

 その日は深作監督にしては珍しく、撮影が定時で終わり、夕食後にアフレコ(撮影後、画像に合わせて音声を録音すること)が行われる予定だった。俳優たちはアフレコ・ルームに集合して、開始を待った。だが、予定時間がとうに過ぎても、主役の文太が現れない。

 梅宮辰夫、田中邦衛、東映専属の俳優も含めておよそ30人ほどは、することもなく椅子に座り主役のお出ましを待つしかない。そんななか、東映では鶴田浩二より古い梅宮辰夫が製作部に向かって、「おい! 文太はどうしたんだ? 早く呼んでこい!」イライラした様子である(三上真一郎「チンピラ役者の万華鏡」「映画論叢」)