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付き人のバイク事故に

 付き人になってから、司は文太が主演する映画のほとんどに出演している。『仁義なき戦い』のときは、文太が頻繁に自宅に電話しているのを覚えていた。

「京撮の部屋に電話があったので、内線から東京につないでいましたね。携帯電話がない頃ですから。奥さんと長い時間、話していた」

 幼い子供たちの様子も気になっていたのだろう。家族思いの一面を見せている。

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 司が覚えている限り、文太は監督や俳優の悪口を言ったりはしなかった。共演した女優についても、ほとんど語らない。

「ただ、渚まゆみさんのことは褒めてましたね」

 渚とは『現代やくざ 人斬り与太』『人斬り与太 狂犬三兄弟』で共演し、一部のマスコミで2人の関係が話題になったこともある。京都ではプロデューサーに連れられて芸者遊びもしたというが、遊びについては、特に口が堅かったという。

©文藝春秋

 付き人になって数年後、司はバイクの飲酒運転で事故を起こした。新聞にも載るほどの大きな事故で、全治1カ月だった。退院して間もなく、文太から東京の自宅に来るよう言われた。叱られるのかと覚悟していたのだが、違った。

「『今日は司の全快祝いをやろう』と言われてね、僕はもう大泣きです。嬉しかったなぁ。奥さんもいらして『お酒を飲んで運転してはダメよ』と注意されたけど、優しかった。だけど何日かあとで、梅宮辰夫さんに会ったときは怖かったです。『おい司、東映の俳優で酒をくらって事故を起こしたのは誰だ』と聞かれて。僕なんですけどね。梅宮さんは、かなり怒っていた」

 文太の付き人としては一番古く年長で、兄貴分の存在だったのが司である。司の記憶では、入れ替わり立ち替わりで、20人以上の付き人がいたという。

「菅原文太さんなんかは、頭が悪いから、よう当ててきよったわ」

 付き人ではないが、司と同じく「ピラニア軍団」の団員になった志賀勝は、任侠映画の時代からなんども文太に斬られたり、殴られたりした。大部屋俳優なので固定給と日給だけでは生活が苦しく、文太を相手に「当たり屋」になったことを語っている。

 チャンバラの刀とか、ケンカのパンチが当たってしまったら、当てた主役が手当てとして5000円くれんねん。それで、わざと当たりにいく(「サイゾー」2013年11月号)

 5000円は、臨時収入としては大きく、少々の怪我をしてでも欲しい金だった。

 中村錦之助さんや、大友柳太朗さんは上手だから絶対に当てへんけど、菅原文太さんなんかは、頭が悪いから、よう当ててきよったわ(中略)。ほんまに当ててるんやから、そらうまく映るわな(笑)(同)

 志賀が文太を「頭が悪い」と言ったのは、5000円の手当てを払うことになるのが分かっていても、避けようとしなかったからである。現場の迫力を優先したためだったのか。